そうすると1時間程余裕があって、最近はここ、スタンフォードの車でしかこれないようなところにあるスターバックスによく来て読書や勉強をしている。
お金持ちの多いエリアなので、またマンハッタンのスターバックスと違って雰囲気、お客さんが独特です。
隣に座ったご夫婦。
おそらくもう引退したんだろうなという感じの旦那さん。
Kindleで読書中。
奥さんは別になにも持っていなくて、お茶を飲んでいる。
時々、でも結構頻繁に、読書している旦那さんに「あ、読書中よね、読んで」と言いながら話しかけまくる。
しかも、返事が必要な話しかけで、旦那さんの読書は一つも進まない感じ。
私だったら一緒に来ないなーと思ってしまうほど、奥さんは暇なのか、話しかけ、読書の邪魔をし続ける。
邪魔をしているつもりは全くないのだろうけど。
旦那さんが偉いなと思ってしまう。
ちょっとイラッとした返事だけど、ちゃんと無視せず対応している。
でも、奥さんも寂しいんだろうなぁとも思ったり。
時間も考えも旦那さんとシェアしたいんだなぁって。
夫婦って色々だなぁと思ったスターバックスでの時間。
私と人は同じようで別でもあるな、とも。
ジャッジメンタルになっている自分を感じながら、オープンマインドでいる事ってどういう事かなと考えています。
先ずはこのジャッジメントをよく見つめて、またブログに書こうと思います。
こういう時間がなにもないようで色々な事が詰まっていて、好きな時間。
読書に戻って、ジャッジメントについて考えを後で巡らせます。
2 件のコメント:
ジャッジメンタルになっているときは、自らのシャドーを投影している時でもあるわけですよね。シャドーが顕在化してるってことは、それと向き合えるチャンスでもあるわけで。シャドーを意識化しその存在を認めて、統合に向かえればいいなと思います。
僕の場合、昔ほどではないですが、いまだに「甘えてる人」を見るとすごくイライラします。「甘えてんじゃないよ!」と腹を立てるのです。そんな時は「あぁ俺の中に人に甘えたいと思ってる自分がいるんだな」という気づきから始まり、あとはただただ認めてただただ感じるようにしています。「甘えたい自分」「愛を求めている自分」をただ抱擁する。するとやがてシャドーは変容し、静まり、自分の中に暖かさや広がりを感じることができます。
日本はそろそろ桜の季節です。
にしまきさん
コメントにいつも気が付くのが遅くてすみません。
ジャッジメンタルな時は自分を知るきっかけですよね。
私も本当によくある。
自分自身がセラピーにまた通い始めたので、そこでも、そして普段からも自分の中で何が起こっているのだろうか、と意識をむけるようにしています。
そういう時に本当にセルフコンパッションは役立ちますよね。
セラピーをセラピストとしてしているときにも、この気づきとセルフコンパッション、マインドフルネスを取り入れてしているのですが、なかなか難しいです。
そういう時は、季節、自然を感じにセントラルパークへ。
自分自身が自分に向き合い、癒すこと、労わること、知ることをしているのがセラピストとして大事なところだな、と思います。
やはり、そこまでの自身の気づきがあるのは瞑想やセルフコンパッションのワークがあるからですか?
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