2016年11月26日

今日も!

毎週土曜日にしているマインドフルネス瞑想会、今日もします!

もしかしたらサンクスギビングで誰もいらっしゃらないかな、とかビル自体が閉まっているかもしれない、と思っていましたが、ビルも開いているし、数名、来てくださるという方もいらっしゃり、毎週同様、行います。

私の中でも、毎週楽しみにしているクラスで、たまには休んでしまうかな、とか一瞬考えたのですが、どんなときでも、毎週土曜のこの時間にあそこにいけば瞑想会をやっている、という風に思ってもらいたいので、今回する事ができて、どこかホッとしているというか、心地のいい気分です。

楽しみです!

2016年9月7日

水のしずくのような心

前の投稿はどういうことを読みたいものなのか、ということで、やっぱり、その人のとてもパーソナルな体験を私は知りたいのだな、と書き、自分のことを少し書いたのですが、今日もその続きとして、私のセラピーセッションについて書きたいと思います。

私が行うセラピーではなく、私が受けているセラピーでの私自身のクライアントとしての体験です。

これは記録しておきたいという想いもあって書いています。

私がこの先生(おじいちゃん先生と呼んでいます。本当におじいちゃんなので)のセラピーに通い始めてもう10年以上になります。
途中長い間行っていない時期もありますが、半年ほど前から再開しました。

自分自身がセラピストだから言うわけではないのですが、困った人の為や、困った時だけセラピーが必要というより、そういう時を機にセラピーへ行くことで更に成長していく素晴らしい助け、必須の助けなんだと思っています。

特にそのセラピーを受ける意味と大切さを感じたセッション。

私のセラピストの先生はA.H.Almaasという方のDiamond Approachというのを取り入れたセラピーをする方で、私もこのAlmaasさんの本は読んだことがあって、興味のある人・やり方ではあったので、結構素直に先生のやり方に応えてセラピーを受けていました。

そのやり方が更なる私の成長に大きく役立ったと感じたのが、この最近のセッション。

今までももちろん、毎回泣いて、いろいろな自分を発見して、とってもパワフルなセッションを体験していたのですが、最近再開してからは私自身も随分と変わっている事や、瞑想を毎日し続けていることなども関係しているのか、体験、発見が今まで違うものに感じていました。

いつも、何でも頭に浮かんだことを話し始めて、そこからどんどんと深いところへ入っていく感じのセッション。

様々な抵抗やディフェンスが出てきて、やはり辛いことや嫌なことを避けて、いろいろな言い訳をして、逃げている自分に気がつきます。

勇気を持って、その嫌な部分を見つめ、感じ続けてみると、意外とそこまで嫌なことでもないことを感じ始めます。

その嫌な感覚と自分の関係性が変わっていく。

どれだけ不安感や怖さから来ていた抵抗が強く、辛いことだという思い込みが強かったのかに気が付き始めます。

そうすると抵抗という感覚が自然となくなっていく。

なくなっていった先には、水のしずくのような美しい、とてもみずみずしくて、柔らかく、でも怖いものがないほど強い感覚がするしずくのような心がありました。

すぐに抵抗やディフェンスがでてくるのも感じて、それらを感じた途端に、その水のしずくのような心が薄いけど強い膜でおおわれてしまい、痛みを感じ始める。

とても不思議な体験をしました。

この感覚が、まさしくMaslowのいうところのPeak Experienceだな、と思いました。

ただ、私がそこにいる。
その感覚から知る、なにも変わらないのに、ただある(Being)の強さというか、安定というか、それを感じる体験。

それから、またどんどんと自分自身の物事のとらえ方が変わり、Almaasの本を再度読み始めてみて、全く違う理解をし始め、毎日のいろどりが鮮やかになってきているの感じています。

あまりうまく言葉にできていないのですが、納得することが増えて、昔ほどいろいろなものに振り回される自分が減ってきています。

ニューロフィードバックのセッションを受けた時の感覚のもっとパワフルなバージョンのような感じです。

今日、一番納得がいった、Almaasの本の中の一節を書いて、今日のブログポストを〆たいと思います。日々精進。前に進み続けます!

Sufi saying: "to be in the world, but not of it."

A.H.Almaas "The Unfolding Now: Realizing Your True Nature through the Practice of Presence."

"Inner practice is basically a matter of settling and quieting. It is about settling into the simplicity of just being ourselves and feeling our realness - being in reality instead of in the echoes of reality."

"All of the inner journey, all of spiritual practice, ultimately comes down to this: that we are able to be genuinely what we are. If you want to do inner practice in order to develop certain powers or go to other dimensions or have special experiences, you still don't know what spiritual work is. And this is because you are not yet recognizing what reality is or what being real means."


2016年8月26日

Good morning!

電車に乗る前にトイレへ行こうと、買ったばかりのアイスティーを持ってトイレへ。
そこでそのアイスティーを全部こぼしてしまい、朝から少し凹みました。

今までだったら、結構ここからよくない1日になるんじゃないかと余計な考えを巡らせる癖があったのですが、あーあー、もったいないとは思ったものの、すーっと他へフォーカスができていました。

そして、電車に乗って、まだ使い始めたばかりの携帯アプリでのチケット購入についてコンダクターの人とチャット。
使い方もよくわかり、とても優しい、穏やかなコンダクターに当たって、朝からとてもいい気分。

他のお客さんとも会話をしているのを聞きながら、お客さんもコンダクターもいい人で、心地の良い「have a nice day! Have a good weekend!」というやりとりに私も笑顔に。

電車は遅れているが、いつものように早目に出ているので、慌てなくていい環境。

持ってきているオレンジブロッサムの香りのお白湯をすすって電車を楽しみます。

2016年8月13日

今朝のテーマ: ディフェンスとスピリチュアリティー


自分自身のセラピーや患者さんとのセッションを通していろいろと思うこと気がつくことがあります。

ディフェンスが最近の特に大きなテーマです。
これが一番大事なことだと思いながら、ディフェンスだけに、自分自身のディフェンスが邪魔をして、自分のディフェンスを感じることを避けていた気がします。

たまに認識して、よくできた、とまた逃げる。
そういう事を繰り返していたのかなと今思います。

未だに逃げてる自分をよく発見します。

それが私自身のセラピーのワークの中心です。

私の患者さんとのワークの中でももちろんこれが一番大事な部分なのですが、とても難しいです。
まず、患者さん自身が自分でディフェンスに気がつくところからなので。

ディフェンスなので、気が付きたくないものであるのがその性質。それに気がつくのは結構大変なんです。

そもそもディフェンスとは。。。
自分を守る為にしている私達の行為のこと。

デナイアル(否定)であったり、正当化だったり、責任転化/転換だったり、様々な形で私達はディフェンスをしています。

今朝もそのディフェンスについて考えていました。

嫌いだったり苦手だと思っている人がいる事はどういうディフェンスなのかなと。

勝手な思い込みから、攻撃されていると勝手に理解して、守りに入る。
それが嫌悪感になったり、優越感に変換されて、ディフェンスとなる。

勝手な思い込みに気がつくことが最初の気づき。

それが真実ではない事を知る。

さらに、自分の弱さ、劣等感を知り、受け入れ、認める。

とても勇気のいる作業です。

そういう事を考え、自分自身のワークをしていた今朝でした。

どんどん深く自分自身を知ること、苦しみを認め、どんなものか知り、苦しみからの解放に向けて進む自分の行動、体験がとてもスピリチュアルなワークになっている事を感じます。

ただ、スピリチュアルという言葉がどうも苦手です。

どうしても他力本願なイメージが付きまとい、私自身のワークは他力本願とは真逆の、勇気を必要とする私だけの道程なんだと思っているので抵抗を感じてしまいます。

魂レベルの霊的なものになりつつあるだけにスピリチュアルワークである事は間違いないので、この抵抗を更に突き詰める必要があるのかな、と考えた今朝。

全てはA.H.Almaasという先生の本の影響。昔読んだのですが、大きく変化した今の自分が読むと理解が変わっているだろうなと思い、手に取ってみて、大正解。

朝から深い時間を感じて通勤です。

2016年7月23日

Sex, Drug and Rock'n Roll! セックスドラッグアンドロックンロール

今朝の私の出勤はまさしくこのタイトルを感じたものでした。

厳密に言うと、Drugは私の中ではMeditation瞑想ですが。
なぜDrugが瞑想かというと、起こす効果がとても似ていると思うから。
一つだけ違う点があり、それは中毒性がないところ。

瞑想に中毒性はないと思います。
もちろん、瞑想に夢中になったり、瞑想がないと生きていけない、と感じてしまうことはあると思いますが、それはしている瞑想の意味が瞑想ではなくなっていると思います。
なので、瞑想をしているが、瞑想ではないのかもしれません。
中毒は心の傷を深くしていくものですが、瞑想はその反対の効果があります。
中毒性を瞑想に感じていたら、それはもう瞑想ではないのかもしれません。

ドラッグはこの中毒性という点で瞑想と大きく違うのですが、感覚や経験をはっきりしたものにしたり、痛みや苦しみが軽減される感じがする点で、効果は似ているのではないかと思い、私にとってのドラッグは瞑想としました。

いいセックスをし、ドラッグ(瞑想)をし、ロックンロールな生活。

私だな、と感じます。

毎週土曜日は午前中は仕事です。
通勤で15分ほど駅からクリニックまで歩くのですが、その道のり、私はiPhoneでレッチリを聴きながら、のりのりで通勤。

あー、私って本当にレッドホットチリペッパーズが好きなんだなぁ、と感じながら、半分踊りながら、そして歌いながらの通勤道。

自分らしくいることにいつもチャレンジしている私なのかな、と感じるのですが、私はどこかでやはり日本人としての体裁だったり、イメージを気にするところがありつつ、そのイメージを壊したくてしょうがないという不思議な反逆精神も強く持っています。

それはまさしく自分らしくいることへのチャレンジで、葛藤しているのだな、と思いました。

私の仕事は臨床心理学者としてセラピーをする心理セラピスト。一見お堅い仕事風です。
職場ではドクターと呼ばれ、患者に電話をするときにも、Dr.Kubotaですが、と切り出す。
どう考えてもレッチリを聴きながら、のりのりで踊りながら歌いながら通勤する人のイメージとは離れているのかな、と思ったりもします。

この思い込みもどこか私が今まで刷り込まれ、信じてしまっているもの。
信じているからか、私はお堅いイメージの人でいないといけないのかな、と感じたり、反逆精神で、まったく違うことをしてしまったり、ずっとどちらかを選ばないといけないかのように過ごしてきた気がします。
まるで、交じり合ってはいけないように。それらがまるで矛盾していて、矛盾がある人間は問題があるかのように思っていたところがある気がします。

でも今朝は、こういうのりのりの先生が私だなーと思って、とても楽になった気がしました。

私は、レッチリが好きで、ロックンロールが大好きで、のりのりな心理学者の先生。
これでいいのだな、と。

セックスも好きだし、健康的にとてもよいセックスをしているし、瞑想も毎日欠かさずしている。しなければいけないことからちょっと逃げがちな時もあるし、どうしようもない不安や怒りに襲われるときもある、そんな人。

自分自身のために行っているセラピーや、自分が行うセラピーで患者と共に成長し、いろいろなことに気づいている人。

瞑想のクラスを教えたり、マインドフルネスについて講演会をする人だったり、料理がとても大好きな人。お酒をあまり飲まなくなった人。

書き出せばきりがない。それら全部が社会的なイメージにはまらなくていいんだな、と感じた今朝。

私は私のままでいて、それが私。

そして、それらがすべてなくなって、私の名前さえも奪われたとしても、私は私として存在する。

私はその私を守ろうと普段はとても必死に生きている。
でも、その守ろうということをやめてみると、痛いと思っていたものが痛く感じなくなることも知っている私。

長い道のりをきて、まだまだこれから道は続く。

今の自分がただ、今の自分で、それに満足している。

昨日患者が言っていたことを思い出す。

半分水が入ったコップをどう表現するか。

「half empty」
と呼ぶのか、
「half full」
と呼ぶのか。

Half Fullな気分の私です。

諸行無常
色即是空、空即是色

この心を日々の瞑想と、セラピーに助けられ理解しつつあります。

最後にトピックを書き足しすぎてしまいました。
これらについてはまた今度。

こういうことを考えるそんな今日で、そんな今日の今の私はただ、私を感じて、ガードが下りている状態です。そういう自分についてと、ぐちゃぐちゃにいろいろな側面があるが、それらが全て私で、それでいいんだな、と感じた事を書きたかった今日のブログポストでした。

この後の瞑想グループが楽しみです。

仕事に戻ります。



2016年7月19日

何が知りたいか

人のブログを読む上で知りたいことって一体何なんだろう?

私が知りたいと思うもの。

パーソナルな体験かな、と思いました。

人とは違うかもしれませんが、ふと、思い出したのは、私が大学院入試のためにPersonal Statementと呼ばれる、自分がどうしてこの分野で勉強がしたいと思ったのかというエッセイを書いていた時のこと。

大学院への応募だけでもストレスいっぱいな中、このエッセイが一番苦労しました。

まず、書いたエッセイを先生に読んでもらおうと持って行ったら、その場で大きくバッテン(X)を書かれました。
全然ダメだと。
こんなの読んでどうあなたのことがわかるの?と言われました。

パーソナルステイトメントと呼ぶだけあって、あなたのユニークな面を書かないとダメ。パーソナルな話を書かないとダメ。
あなたがどうして心理学者を目指すことになったのか、ちゃんと理由があるでしょ、と。
それをしっかり書きなさい、と言われました。

がっくり落ち込んで、図書館のキュービクルでしくしく泣き(本当に)書き直しにかかったのですが、難しくて。

パーソナルな話を人にするなんてことなかったのでどうも慣れないし、きっと自尊心の問題もあったのか、私の話なんて、誰が聞いても面白くないし、と思い込んでいるところもあったんだと思います。

でも、勇気を出して、書かなきゃ大学院行けないんだから、と書いてみました。

何を思って、何に感動して、どういう人間に将来なりたくてこの分野(心理学)を選んだのか。

ラッキーな事に、頑張ったおかげか、偶然にも第一希望の大学院に入学できました。
あの時の勇気のおかげかな、と。

そういうパーソナルなものが、一番話としても面白く、説得力もあるものなのかもしれません。



私のパーソナルな話。。。



弱音を吐きたくないが、今日は異常に不安感に襲われる日でした。
たまに、その日のセッションに来る患者さんやクライアントさんのものを感じたり、もらったりしている時もありますが、自分にも同じような感覚があるから感じるので、やはり私にとって大事な感覚。

不安感があると、落ち込んだり、さらにやる気を失ったり、不安に苛まれて何もかもうまくいかない、と信じ始めたり。

心にいいことはあまりない。

妄想がスタートしてしまいます。

そんな自分に気がつき、不安感と向き合ってみることにしました。

こういう向き合い方ができるようになったのは自身のセラピーとマインドフルネス瞑想のおかげだなと感じています。

不安感と向き合っても、不安が消えるわけではないが、消えて欲しいと願っている自分には気が付けます。
不安はどこで感じているのか、私の中にどんな思い込みがあるのか、どんなことを私が信じているのか、など、知れることがたくさん。

そういう今日でした。

瞑想、毎週の自分自身の為のセラピー、私の患者さんとのセッションなどに助けられ、日々自分らしくとは何か、と感じている気がします。

2016年6月6日

雨の日の木々


雨☔️の日に雫で重くなって垂れ下がっている木の葉っぱがすごく好きです。

緑の色もさらに綺麗で鮮やかに見える気がするし、晴れている日の木々もいいですが、雨の日も綺麗。

今月末にマインドフルネスについての講演会をさせて頂くのですが、その準備をしながら、どこに焦点を置いて、どういう話をしようかと考えてばかりいます。

こういう日々の心地の良い気づきもマインドフルネスを実践していくと増えますよっていうのが個人的には一番幸せを感じる所だな、と思うので、こういうことも話したいな、と思った雨の日の次の日でした。

2016年5月16日

怒りはラグジュアリー

前日、知り合いの人といろいろと話が盛り上がり、その時に出た名言がこれです。


「怒りはラグジュアリー」


そもそも、この会話が始まったのは、確か、私が患者さんの話をしていたところからだったと思います。

全般的に、私が今診ている患者さんは保険があり、私のボスに当たる精神科の先生に診てもらっている人で、その先生にサイコセラピーを勧められてセラピーを始めた人がほとんどです。

その中の多くの人が、何かとても辛いことがあり、クライシスなので、藁をもすがりたい想いでセラピーにやってきます。

皆さんの願いとしては、セラピーも薬を摂るのと同じように即効性を求めているところがあります。

バンドエイドのような感じです。

傷ができたので、絆創膏を貼って応急処置して、気が付いたら痛みがなくなり、傷も癒えているというのが願い。

それはスピリチュアル系のものや宗教的なものに何かを求めて、儀式やなにかをしてもらうことで安心するのと同じことのように思えます。

もちろん、辛いことからは逃れたいのが人間の普通の反応。

バンドエイドのように、薬のように、1回、もしくは数回でどうにかなってくれると嬉しいですし、そう信じたいもの。

そして比較的簡単に痛みを取り除くことができるなら、そうするためには何でもしたい、と思うのも普通の心情だと思います。

人間の心の働きとしても、まずの応急処置で、傷が癒えると信じて痛みを取り除く作業をまずはします。それが忘れてしまうことであったり、気をそらすことであったり、なにかを責めたり、何かの所為にすることであったりします。

とにかく、痛みや辛さへの対処をする。

至って自然なこと。

ただ、これをし続けていては、苦しみ続けるだけなんです。

本当の痛みの根源はちゃんと向き合うことができていない。

そして、この向き合うという作業は思っている以上に根気、時間、とやる気が必要になります。
どうにかするぞという自分の決意と意思がないと本気で向き合えません。

それはとても時間もかかることでもあります。

セラピーはまさしくその作業を手助けするものだと思っています。

安心感を得るところまでがセラピーではなく、そこからが始まりで、じっくり自分という人間に付き合っていく作業がセラピーで助けられます。

この、やる気・意思、根気、時間をかける勇気、そしてそうし続ける訓練・プラクティスが人間一番大事になってきます。

「怒りはラグジュアリー」


とは、この向き合う作業から逃れ、怒ることで根本にあるコアな問題を見つめないいい理由にしてしまう事。

そういう意味で怒るということはラグジュアリーなんです。

怒りとは、一番辛いところ、痛いところを感じない為にあるものという意味でラグジュアリー。思いっきり怒って、それに飲まれ、流されすることで、コアにある自分の問題は棚に上げてしまう。

だからといって、怒ってはいけないわけではないです。怒るのも自然な感情の一つ。
そして、そのコアな問題へと導いてくれる一番大事な感情である気もします。

そうは言っても本当に心の奥底にある、あり続ける問題(苦しみ、痛み、悲しみ)に面と向かい続けるのは大変なことです。容易なことではないので、怒りに飲まれてしまう、何か他のものでどうにかしてしまうということをしがちになるのもとても自然で当たり前のこと。

だからこそ、人間って面白く、知恵のある生き物なんだなと思います。
毎日、毎秒、進化・進歩・学習し続けていて、知恵をつけていっているのが人間の特徴なのだな、と。

知恵と成長はしたくないと放棄しても人間はし続けているものなので、それを更に充実させていく事が幸せ感になるのではないかとも思います。

そうするには、毎日の訓練、毎日自分の怒りや、感情や何かの変化に気が付くこと、向き合うこと、そしてその為に瞑想やセラピーを受けること、師につくということなどをしていき、知恵と成長が促されていくと思います。

更に大事な事は:
知恵をつけるぞ、学ぶぞ、学習しなければ、という思いが悪いのではないですが、そこに固執してしまわないこと。

ただただ、自分の変化、自分の感情、自分の考えなどを評価せず見つめること。
評価したら、評価したことを知る。ここにマインドフルネスの大切さと意味があると思います。

日々の努力と日々の気づきで*苦しみへの関わり方が変わり、幸せ感を増やしていくことになるのだな、と最近強く思っています。

怒りをある意味大切に。

最後に、もう一つ、怒りは二番目にくる感情で、必ず怒りの奥にはもう一つの感情、『悲しみ』があります。

悲しい、寂しい、そして恐れをキーワードに自分を探るといろいろなものが見えてきますよ。

*「苦しみへの関わり方」と書いたのは、苦しみを与えているものは消えないということを強調したくてです。
いつも言う、1ある痛みを10にも100にもしている自分の心に気が付いて、1の痛みのままで過ごすということです。

2016年4月30日

マンハッタンでのバス通勤

最寄りの地下鉄の駅が閉鎖しているため、メトロノースの駅までバスで行っています。

今朝のバスのドライバーの女性がにこやかにバスの中の乗客に向かって「おはよう」と、とてもナイスに言ったら私も含め多くの人が「おはよう」と言い返し、それが更にドライバーの笑顔を誘い、朝から私もとてもいい気分。

こういう些細な事が喜びと幸せを感じさせてくれます。

こう感じれた自分、こう感じれたドライバー、この朝の状況に感謝でスタートです。

2016年4月26日

花粉症2016 続き

花粉症対策の為のダイエットについて書きましたが、続きがあります。

というのも、書いた途端に花粉症のような症状がひどくなったのです。

なんでなんでー???

こんなに頑張っているのに、どうして出るのか?
やっぱり、どうしてもただの花粉症なのか?なになの?
もちろん、ここ数年のかなり酷かった状態に比べるとマシではあるのですが、それでも前回のブログを書いた時よりは苦しくなっています。

と、自分の中で、であんなに張り切って楽ですよと書いたのに、情けないな、と日本人らしい反応で、自分を責めている自分を発見しつつも、気になっていろいろ調べてみました。

これらの情報もどこまで信じれるものかわかりませんが、多くのサイトで書かれているのは、このカンジダ菌(悪玉菌のイースト)が死んで、そこから毒素が出るので、風邪っぽいものや、鼻づまりなどの症状がでたりするそう。

とあるサイトでは、悪玉菌もなかなか強くて、やられそうになるとやり返してくるとかで、意外とすぐになくならず、最後の力で抵抗するそう。それで正直アレルギーなどの症状など、カンジダ菌増殖で出ていた症状の悪化が最初の頃に出てくるそうです。

早くて1週間、長い人だと1月以上もこの状態が続いたりするそうです。

ここがどうやら踏ん張り時みたいです。

めげずに、このグルテンフリー、シュガーフリーダイエットを続けることに意味がある。

しかも、やり方を強化しないといけないのかと思い、更にいろいろ調べてみました。

いろいろな人がいろいろなダイエットを提案しているのですが、完全に穀物をやめなさい、とか、フルーツ(果糖)でも糖は糖なので、菌の餌になるとして、やめなさいとか言っている人もいるのです。

フルーツ辞めるの厳しいな、と思いつつ、気持ち減らさないといけないのかな、と思いました、が、あるサイトでは、バナナなどは腸壁を強くするなど書いているので、それを信じて、いくつかのものはキープでいこうと思っています。

頑張るけれど、無理しすぎないように。。。というのが私のやり方なのかもしれません。。。自分に甘いところもあるかもしれませんが。

とりあえず、今は、穀類はかなり少量で、もちろんグルテンは全く取らず、糖分はかなり抑えて、でも、フルーツは少しは食べる、という感じのダイエットで過ごしています。

チーズ、ヨーグルトは完全に我慢しています。これらがないと生きていけないのでは、というくらい大好きなこの二つを我慢している代わりに、かなり高いけれど、すごくおいしいココナッツミルクで作ったヨーグルト風のものを発見したので、それを食べています。

そのヨーグルトはこちらのもの!

Anita's

かなり美味しくて、他を我慢している分、これがご褒美になっています。とはいえ、どうしても結構お値段もはるので、大事に大事に、味わいながら食べています。

どうしてもヨーグルトっぽいものがないと生きていけない私です。

もしかしたら、このじっくり味わうということを知る、行う為に今頑張っているのかもしれません。食べ物への感謝と味わいを感じながら食べるということはマインドフルネスでもありますしね。

私のダイエット話はまだまだ続きます。

加工されたものは極力避けて、お野菜やお肉、魚を買ってきては、自分で調理して食べています。

更に大事なのはどうやらお通じの様です。

イースト菌達が死んで、そこから出る毒素だという説を言っている人たちは、とにかく、それらを体から出さないといけないので、繊維のあるものを沢山食べ、水分も十分にとり、お腹をきれいにしましょう、と言っています。

便秘気味の人は、浣腸もお勧めするほど、しっかり便を出すのが大事だということみたいです。

私は普段から便秘気味なので、これがいいかも、と思い、糖分量も調べ、ドライプルーンを食べていたのですが、あまり効果はないうえに、やはり糖分は糖分だ、という説から行くと摂ってはいけないものだったみたいで、最近控えています。

穀類の話をもっとすると。。。

大好きだったコーンチップスも買わずに、たまに、Mary's Gone Crackersを数枚つまむ程度。

胃腸もこの食生活に慣れてきたのか、お肉や卵も食べているからか、それほどまでにお腹が空いたなという感じはなく生活しています。

野菜をひたすら食べていますが、ナイトシェードと言われるナス、トマト、ジャガイモなどは避けています。イモ類は全般我慢。。。さつまいもはマクロビオティック的には大丈夫な野菜なのですが、それも我慢。糖分が多いということで。

とはいっても、たまになにかちょこっと食べたりはしています。1週間に1回少し口にするかしないか程度ですが、全部を絶対に食べないという風にしていては、生活が成り立たない時もあるので。

豆類もだめ、という人もいて、これらも少し避けています。
でも、外でグルテンフリーのものというと豆類になってしまうので、これらも少しは食べるときもある感じです。

徹底し始めると、自分の体がダメになるか、お腹の中の悪玉菌がダメになるかの戦いの様です。

長期的デトックスだと思い、とにかく、踏ん張ってこのダイエットをしばらくは続けたいと思っています。

そう言っているうちに、花粉症の季節が去っていき、このダイエットも定着して、腸内菌バランスもよくなり、おいしいものを適度に食べて、楽しく過ごす日々が待っているぞと夢見ながら!

2016年4月25日

ハーレムでもいい事ある

(今朝の写真じゃないけれど。。。)

普段、どうしても、なにしてるんだろうこの人達は?と思ってしまう、平日の昼間にただ外にいる人達がハーレムには沢山います。

それぞれに色々とストーリーはあるのでしょうが、正直言うと、どうも私も見て見ぬ振りしがち。

声をかけられても、基本無視をしてしまいます。

アル中みたいな人がなにかわからず声をかけているんだろうとしか思っていなくて。

声をかけられる時は、実際そういう事が多いのですが。。。

今朝も、とても急いでいたので、地下鉄へ向かっておじさん達の間を走り抜けたら、すごい声をかけられている感じ。
おじさん達が知り合いに会って騒いでいるのだろうと思っていたら、「Miss、Miss!」と私になにか言っている風。

普段の様に、瞬間無視していたのですが、さすがに足を止めたら、私のカバンから落ちたと思しきものを持って、落としたよーって言ってくれていました。

財布じゃないのか、これが無いと大変だぞと言って明るく心配してくれていて、早朝から、財布じゃなかったよー、サングラスなの、でも無いと困るわーと楽しくおじさん達と会話して、駅へ入りました。

なんだかいい朝を迎えたなと感じて気分がよく、ブログに書き留めてみました。

人の優しさを感じて、幸せ感と反省を味わってます。

人ってみんな基本はいい人なんだな、と。

2016年4月20日

花粉症2016

毎年、もしかしたら、この時期には花粉症について書いているかもしれません。

いつも苦しんでいます。

去年はとてもひどくて、通訳の仕事でも咳き込んで通訳できなかった瞬間があったほどでした。
薬漬けで、そのせいで、ひどい疲労感で体調不良を起こしてしまったほど。

今年も、3月末くらいから症状が現れ始め、夜、寝苦しくなりかけていました。

鼻がつまり始めるので、口で呼吸してしまい、喉がカラカラに乾燥してしまって、喉まで傷めてしまう。

鼻もずっとムズムズしているし。

目も痒くなってきて、コンタクトレンズを長時間しているのが不可能になってくるくらい。
できるだけコンタクトを外せるときは外さないと目が痛くなる、という具合でした。

今年はなにか違う対策を、と思い、前々からきっと私もこれだな、と思っていたリーキーガット症候群を治す為のダイエットを本気でしよう、と思い、3月末からスタートしました。

リーキーガット症候群、GAPS(Gut and Psychology Syndrome)、カンジダ菌異常増殖、などと言われている正式な病気としては診断されない(認識されていない)状態がここ数年よくメディアなどで書かれています。

症状からすると私の状態に似ているな、と思っていました。

たまにグルテンフリーにすると体調が良かったりもしたので、グルテンアレルギーなのかなと思ったり。

疲れやすい
甘いものをやたら欲しくなる
アレルギー
下痢、便秘などの腸の問題
肌の調子が悪い
婦人科系の問題
呼吸器系の問題

等々の症状があるそうです。ま、みんな誰しも持っていそうですが。

私の場合、食べ物のアレルギーも酷くなりつつあったうえ、グルテンを食べると呼吸困難になったり、花粉症も毎年酷かったり。
体重も増え、疲労感も多い日々でした。

なによりも、この花粉症の時期の辛さは毎年酷かったので、これはどうにかしなければ、とさらにいろいろとこれらの病状というか症状というか症候群について読んでみて、ダイエットを徹底的にしてみようと今年は思い切りました。

まずは、グルテンフリー、シュガーフリー。

これだけでも随分と調子がいい気がします。
何よりも砂糖。

これらの症候群の考え方としては、腸内菌のバランスが崩れてしまい、悪玉菌となるカンジダなどの菌が異常増殖していることからくる症状と思われています。

その悪い菌に餌となるものを与えない、というのがこのダイエットの基本。

グルテン、基本的に炭水化物全般、砂糖がこれらの菌の大好物。

これらを摂取するのをやめる。

それから、いい菌を入れていく。
ということで、プロバイオティックのサプリも飲み始めました。

腸の粘膜を強化や悪玉菌を殺す作用として、ココナッツオイルを使ったり。
結構欲していた甘いもの(ケーキなど)を徹底して止めたり。
様々な食べ物の糖分量をかなり気にかけるようになり、ほぼないか、どんなに多くても20g以内ぐらいに、と意識しています。

家で調理して、野菜を沢山食べる、というのもしています。
家で食べることはいつもしていますが、簡単に済ませたり、グルテンフリーではあるが、スターチーなものを食べたりしがちだったので、そこも意識して、減らしています。

肉も食べます。

大好きなチーズとヨーグルトもかなり控えています。
乳製品が腸の壁を傷めるそうで。

そして、発酵食品。キムチは刺激が強いそうですが、好きなので食べちゃってます。

このダイエットを始めてから。。。

既に寝苦しくなり始めかけていた、3月末から始めて、つい2日前ほどまでは、お天気などの関係もあったのか、花粉が少なかったのか、花粉症の症状ほぼなく、少し鼻が違和感あるかな、ぐらいの感じでした。

ここ数日とても暖かく、花粉も思いっきり飛んでいるので(外にいると携帯の画面に黄色い粉がまぶされる感じ)外に長時間いると鼻がつまってきたりはしています。

それでも、まだ夜は問題なく寝れているし、コンタクトレンズも影響なく、1日つけていられる状態。

感動。

こんなに楽になるなんて。
呼吸困難のような症状もずいぶんとなくなり、何よりも夜寝れる。
毎年、夜だけは抗ヒスタミンを取って寝ないと寝れなかったのですが、今は薬もなにも取らずに寝れます。

花粉症が酷いと瞑想するのも苦しかったり。

なにかとイライラしがちだったりもしていた気がします。

瞑想も辛くないのですんなり座れる。

まだまだこのダイエットを続けないと腸内菌のバランスは整わないと思いますが、数週間試しているだけでこれだけの変化があり、楽なので、思わずブログにも書いてしまいました。

苦しんでいる方、是非お試しください。




2016年4月14日

コネチカットのスターバックスにて。。。

朝からトラブルがあり、バタバタしてしまった始まりだったのですが、比較的、落ち着いて対応ができました。

落ち着くことができたからなのか、その後はとてもスムーズで、とても小さな事なのですが、仕事場へ行くためのバスも予想していたのよりも早い便に乗る事ができ、一本早い電車で行った動きができました。

そのおかげでスターバックスで、余裕な時間を過ごす事ができています。

いつも瞑想の効果を感じていても、忙しかったり、特に朝バタバタしていると、なにかと心の中で言い訳を作って瞑想をしない日があったりしました。

ところが、最近は自分自身の生活や環境が変わった事、心理学者としての仕事を本格的にしている事、これからの仕事への取り組み、人間関係、特に恋愛関係などが大きく変化し、それに伴って、再開した自分自身のセラピーの効果もあり、瞑想をするという事が自然になりつつあります。

今までは、瞑想をしなかったら、そんな自分を責めたり、情けなく思ったり、瞑想をした方がいいという事を自分に言い聞かせて、瞑想を大きな事の様に扱ったりして、逆に自然に瞑想をする、自然に生活をする、クリエイティブになる、という事から知らない間にかけ離れていた気がします。

自身がサイコセラピストとして多くの患者を持つ様になり、毎日患者さんとの会話(セッション)に対応していくという事を積み重ねているうちに、もっとアドバンスな気づきや理解の深まりがあるみたいで、それも自分自身を変えていっている気がしています。

自分自身の心や考え方の変化、瞑想の安定があったから、今朝のトラブルにも、一瞬パニックになりはしたものの、とても早く穏やかになる事ができ、素直で、迅速な対応ができたのだな、と思いました。

そんな木曜日のコネチカットのスターバックスでの時間はとてもいい感じに過ぎています。

2016年4月3日

Common Humanity

Common Humanity
セルフコンパッションのコンセプトの中にある3つの主要素の一つ。

Mindfulness
Self-kindness
そしてこのCommon Humanity

みんな痛みや悩みや恐怖は一緒。
喜びも、求めているものも一緒なんだということ。

出てきている形は違うけど、状況とか見え方は違うけれども、根本的なところで嫌な想いはみんな一緒で、意外とみんな悩んでいるもの。

あの人は幸せそう、と見えていても、それは私たちが勝手に思っていることで、実は、同じように悩んでいたり、悲しいものは悲しく、嬉しいものは嬉しい。
そこはみんな一緒で、その同じ感覚であることを知ることで、離れた存在ではないと知る。

どこかでみんなつながっているんだな、と知ることでの暖かさや優しさもセルフコンパッションの一部です。

自分だけがこんな目にあう、こんな境遇なんだ、自分だけが人よりも辛い、とかそういう風に人は思いがち。

そう思ってしまう気持ちはとてもよくわかる。
私自身もまだまだそう考えがちな自分をよく発見します。

自分の辛さは人とは違う、とか、他の人だって悩んでいたり、困っていたり、いろいろなことが人生で起こっているのに、それを見る、知る余裕はなく、自分の辛さだけを人にぶつけてしまったり。

そういうことを改めて考えて、そして知ることが自分の成長に繋がっている。

人は「意外」なんだって考えるくせをつけよう。


2016年3月11日

仕事の前の時間

仕事場が遠いので、遅れるのが嫌なのもあり、すごく早く行くことにしている。

そうすると1時間程余裕があって、最近はここ、スタンフォードの車でしかこれないようなところにあるスターバックスによく来て読書や勉強をしている。

お金持ちの多いエリアなので、またマンハッタンのスターバックスと違って雰囲気、お客さんが独特です。

隣に座ったご夫婦。

おそらくもう引退したんだろうなという感じの旦那さん。
Kindleで読書中。

奥さんは別になにも持っていなくて、お茶を飲んでいる。

時々、でも結構頻繁に、読書している旦那さんに「あ、読書中よね、読んで」と言いながら話しかけまくる。
しかも、返事が必要な話しかけで、旦那さんの読書は一つも進まない感じ。

私だったら一緒に来ないなーと思ってしまうほど、奥さんは暇なのか、話しかけ、読書の邪魔をし続ける。
邪魔をしているつもりは全くないのだろうけど。

旦那さんが偉いなと思ってしまう。

ちょっとイラッとした返事だけど、ちゃんと無視せず対応している。

でも、奥さんも寂しいんだろうなぁとも思ったり。
時間も考えも旦那さんとシェアしたいんだなぁって。

夫婦って色々だなぁと思ったスターバックスでの時間。

私と人は同じようで別でもあるな、とも。

ジャッジメンタルになっている自分を感じながら、オープンマインドでいる事ってどういう事かなと考えています。

先ずはこのジャッジメントをよく見つめて、またブログに書こうと思います。

こういう時間がなにもないようで色々な事が詰まっていて、好きな時間。

読書に戻って、ジャッジメントについて考えを後で巡らせます。

2016年3月5日

毎日

毎日
一言でも

許す
謝る

居心地の悪さに抵抗しない、抵抗に気づく。

これですね。

2016年2月25日

本読み

元々、本を読むのは大好きだけれども、最近、勉強のために読まないといけない、となっていたので、すっかり楽しめず、ちょっとは楽しいのだけれども、すぐに眠くなったり、やる気がなくなったりしていた。

文章を書くのも一緒で、大好きなのに、どこか、しなきゃいけない、と思うとできなくなっていた。

まさしく、今、試験勉強でも読んでいる心理学で言われているように、自然に知りたいと思う事に関しては、苦がなく知る事ができ、勉強してしまっている。これが、試験の為の勉強、となった途端にやる気がなくなり、しなければ困る、という意味でやる気はあるが、持続せず、ただただ苦しく感じてしまい、避けてしまっている。

興味のあることを調べるのが大好きで、新しい発見があったり、自分の思っていたことなどに関して納得のいくものであったりするとさらにワクワクして、よく覚えているものなのに。

試験のために覚えないといけない、と思った途端、頭が拒否するかのように、残ってくれない。

そんな中、やっぱり頭を使って読んでいると楽しくなってきて、それがいろいろな事に繋がって、さらなる気づきと発見があって、また嬉しくなって、発想も広がって、患者に会うのが楽しみになってきたりして、やっぱり私は勉強が好きなんだなと感じた今朝。

本をもっと読むことで、頭そのものが活性化するし、毎日の瞑想も効いていて、勉強で読まないといけないものなのだけど、楽しく読める気がしました。

もちろん、試験勉強は嫌なので、苦しさに見舞われることはまた多々あるかと思うのですが、すこし和らぎそうな気配。

それくらい、今朝、患者との関係も変わりそうだし、自分自身のことを知る上でもすごく役に立ちそうで、もっともっといろいろな本が読みたい!と思う通勤時間でした。

ワクワクしてきて、思わずブログ。

ブログを書く事も、もっと書きたいのだけれども、書かなければ、とどこかで思っているから、進まなかったところがあり、さらに離れがちでした。

本当にストレスがあったり、忙しかったりもしたのですが、どこか避けているところもあったんだな、と改めて思っています。

これで、今日から少し変わるかしら。

仕事のリズムに慣れてきて、次に楽しみなことがあったりすることで、本当にブログを書くことにも変化があるかもしれません。

Intrinsic Motivationと呼ばれるこの自然なやる気。何かの利益(精神的であったり、金銭やステータスであったり)の為にでてくるやる気はExtrinsic Moivationと呼ばれ、元々自然にやりたくてやっていたことも、なにかしらの報酬を得てしまうとやる気がなくなってしまったり、もっと報酬を得れないとやる気がなくなってしまったりする、と考える理論があります。まさしく、それだな、と納得。

Intrinsic Motivationを持続させるためには、そうやって始まり、好きでやっている自分に気がつくこと。
瞑想やセラピー、自分自身熟考することにもよって、そんな気づきもあります。

さ、仕事の合間を利用した勉強タイムに戻ります。

2016年2月15日

英語で検索、リサーチ

この間、どこの誰の記事かは覚えていないのですが、英語は、話すためにできるべきというよりも、いろいろなことを調べて、文献を読んだり、情報得るうえで、必要な言語だ、というような感じのことを書いている見出しだけですが、みました。

ちゃんと記事を読まずにこんなこと言ってしまうのですが、大賛成です。

たまに、日本語で検索したらどういうことが載っているのかな、とネットで調べたりしますが、本格的なリサーチは日本語だけではかなり限界がある、いつも感じます。

日本語で載っている情報の信ぴょう性の低さと言ったら、、、と。
もちろん、英語で書いていても怪しいものもありますし、その辺り、うまくクリティカルな見方を磨いていかないといけないですが、それ以前の問題で、日本語で調べ物をしてもかなりの限界があり、内容の薄さをいつも感じます。

そこで、私は英語でいろいろ調べることができ、しかもNYの大学、大学院でリサーチの仕方をしっかり教えてもらい、自分はラッキーだなと思っています。

クリティカルに物を見て、考えるということも学ばせてもらっているな、とも。

まだまだ私も勉強中ですが、そういう意味で、こういう環境にいて、いろいろなことを学ぶことができて、私はとてもラッキーです。

英語が話せることももちろん大変役に立ちますが、確かに、なにかを調べるにあたって、英語がどうしても共通言語だなということは避けがたい事実。
日本にも素晴らしい情報はあると思いますが、ネットの成り立ちが違うのか、疑問に思うことが多いです。

確認するように、日本語で調べると同時に必ず英語でも同じものを徹底的に検索してみて、信ぴょう性をいつもチェックしています。

時代は変わってきているので、最近は良くなってきた気がしますが、それでも英語が読めて、理解できることの大きさはまだまだあると思います。

英語では私も苦しんできているので、得意じゃなかったり、まだまだ伸び悩んでいる人は多くいるかもしれません。
でも、知りたいことを読むとどんどん読み進むので、英語力も上がるし、情報も広がり最高にいいと思うので、まだまだ英語が得意じゃない方も頑張ってください!

そんな私も、益々頑張らないと。

勉強。
日々学習です。

2016年2月14日

Mindfulness and Tarot therapy and my new year

マインドフルネスのクラスをもうかれこれ2年程続けているが、今年からまたさらにこのクラスが変化していく気配がしている。

そういうことについて書きたいのだけれど、そして今とても書きたいモードなのだけれど、他にどうしてもしないことがあり、そちらを優先するため、今日はここで終わり。

今までだと、強引にしないといけないことを無視して書いていたような気がする。

プライオリティがあまりわかっていなかった。

いろいろなことがクリアになってきているのだろうか。

タイトルにあるように、Tarot Therapyも本格的に、再始動するつもりです。
新しくミッドタウンのロケーションで、タロットセラピー、そして、インナーチャイルド体験クラスもしていこうと思っています。

それについても、また今度。

2016年2月3日

なんでそんなに難しい

Sitting with Discomfort

これがテーマと言っておきながら、こうすることの難しさを体感している日々です。

すごく正直に、いじけた気分の自分になっているところがあり、これは私の不安感や、弱さにやられているときの傾向だと感じています。

そういう時はとても難しいです、このSiting with Discomfortを実践するのが。

気になることに関して、素直な心でみることができなかったり。
穏やかな心の目で感じる感覚を少し忘れているような感じ。

いつもだと抵抗しがち。
今も、若干抵抗している。
葛藤しながらブログを書いている。

恰好をつけたり、大げさになったり、大丈夫だという感じをあえてだしたり、ということを過去はしていたのかもしれません。
そんなことをして、Pretendする余裕もなかったのも事実。

毎日気づきはあるけれど、自分にしっかり向き合えてない気がしたりもします。

それでこそ人間だな、と感じる今日。

素直に、危険なまでに自分の弱さ、できていない部分を書いてみたら、なにかが動いた気がします。

マインドフルネス瞑想、セルフコンパッションがさらに役立つ。

もっと、瞑想について、セルフコンパッションについて書こうと思っていたのですが、大事だと思うことがこの投稿を書き始めた時と変わったので、そんなに書きません。

瞑想、セルフコンパッション、マインドフルネスが自分らしさを知り、感じ、あるがままいて、そしてさらに成長を促すということをしてくれる、と再確認しています。

明日も仕事に勉強にがんばろー
瞑想も。


2016年1月4日

Happy New Year! 2016!

今年は週末にかかる形で年明けだったため、なんだかのんびりしていて、NYでは珍しい感じで日本のお正月気分が味わえた気がしました。

新年でなくとも、いつも自分の生活や、将来のことばかりを考えているのですが、やはり新年なので、今年の抱負、というものを考えていました。

私のテーマは絶対的にこれです。

「Self-Compassion」自分自身への優しさ・思いやり

これが何よりも大切だな、と強く感じる日々を過ごしています。

そしてもう一つはこれ。

「Sitting with discomfort」居心地の悪いものただ感じる

どう訳すのがいいのか難しいのですが、ジャッジメントなく、ただただ、居心地の悪さを感じ、受け入れ、反応し続けない自分を作る、ということが大切だと感じています。

何をどうやっても、どんな気づきがあっても、どんな発見があっても、そんな簡単にいろいろなことは変化しない。
すぐに気づいたことを忘れたり、と人間成長はし続けているもの、突然神にはなれないのです。

もちろん、みんな神になろうとしているわけではありませんが。。。

幸せをしっかり感じるためというのか、人間成長をし続けていると思っています。
幸せというものの定義によるかもしれませんが、私は人間とは常に成長し、自己を高め、社会に貢献しながら他と交わって生きていくものだと思っています。

その成長という意味で、神になるわけではないが、みんな向上していっている。

でも、大きな気づきがあったり、発見があったり、成長を促す出来事があっても、そんなに上手に実践していけるものではない。

そこで何が大事なんだろう、と考えて出る答えが上の二つなんです。

自分自身への優しさ思いやり、それに加えて何よりも大事だと最近感じるのが、この居心地の悪さと共存すること。

居心地が悪いから、悪い、要らないものではない。

痛みやストレスや、ネガティブなものは起こります。
幸せな出来事も同じように起こります。

ネガティブだと避けたい気持ちが出てくるのも普通です。

でも、そこでネガティブだから避けたいと抵抗し続けるとこれが実は逆効果で、ネガティブなことをどんどん増やしてしまったり、継続させてしまったりしてしまいます。

ネガティブなことを止めることはできない。
でもどう付き合うかを変えることはできる。

その為には、ジャッジメントなくただ向き合う、見つめる。

これをするのは正直大変Uncomfortableなのです。

居心地が悪い。

それでも、ただ、感じてみる。

観察してみるという勇気。
これが大事なんですよね。

Brene Brown先生が言っている勇気、Courageがとても大事。

Whole Heartで対応する。

心一杯の対応と、心全てをかけて、向き合うということ。

それが勇気。

居心地の悪さに勇気を持って挑む。

でも、戦うのではなく、抵抗するのではなく、ただ、感じてみること。

いつもクライアントさんに話す、「1」のレベルの痛みがある。
これを100にも1000にもすることはできます。
そして、1の痛みはどうしても消えないもの。

どうしても感じないといけない痛みなら、1のままでいいのに、人間は痛い痛いと抵抗して、どんどん痛みに油を注ぎ続けて、大きくしてしまう。

それを1で抑えておくこともできるのに。

1にしておくのは、1であることを知り、認め、受け入れ、分析したり抵抗したりせず、ただ、観察し、Sit with painすることで達成できます。

1のまま

1あることはどうしようもない

でも増やす必要はないですからね。

だからやっぱり、Sitting With Discomfort、居心地が悪くてもただ感じること、っていうのが大事だなと思うわけです。

我慢のようにも聞こえますが、大きく違うのは、「抵抗」

我慢するということは抵抗していることになる。

抵抗するわけではないので、これは我慢ではなく、ただ、痛みを感じること。居心地の悪さを感じることになります。

それだけ。

そうしてみたら、そうできたことで得たものを知ることができると思いますので、皆さん、私と一緒に頑張って、Siting with Discomfortができるように頑張りましょう!

やはり瞑想。

そう思うと瞑想に抵抗せず、自然に座っている日々になっていきます。

2016年のスタートはこういう感じでした。