2015年7月24日

Equanimity 心の均衡

結局、この心の均衡を持つこと、感じること、保つことなんだな、と考え、感じる今日この頃です。

怒りだったり、人への不満感であったりとか、どうにもできない出来事やそれに伴う感情があります。

それらは消えないもの。

心が勝手に大きくしたりはしてしまいがちですが、あるもの以下にすることや消えてなくならせてしまうということはできません。

でも、それらの感情や出来事に振り回されない自分づくりはできます。

そしてそれは、起こった感情(怒りでも、喜びでも、苛立ちでもなんでも)をコントロールするということでもないんです。

感情の豊かさは素晴らしいこと。

どんな感情も出来事も全てのそのままを見つめ、認め、受け入れる。

それが嫌な気分をさらに巻き起こすものだとすれば、「嫌な気分をさらに巻き起こす感情・出来事だな」と認識する。

ただそれだけ。

「ただそれだけ」と言われると人間とても不安になるみたいです。

その不安も含めて感じてみる、検証してみる。

どういうことが起これば不安でなくなるのか、何がそんなに不安なのか、など。

「こうしてみなさい」と言われ、そしたらこうなります、がないと人はそうすることの良さに気が付くことがなく、試してみようという意欲も起こらず、なにもしないで、「苦しい苦しい」とだけ言い続ける気がします。

Unknownなことへの不安はとてもよくわかる。

でも、やってみないとわからない、理解できないことばかり。

「こんなことしたところで、いろいろな感情を知って、見つめただけで何になるんだ。なにも楽にならないし、ひどくなる一方。きっともっといい、楽になる方法があるはず」

とみんな思うのが普通だとは思いますが、そこで「勇気」を持って「やってみる」。

そこからの気づきは本物だし、自分のためだけにあるものです。

体の底から、心の底から感じて理解して、納得するだけで、驚く変化、奇跡が起こり始める。

でも、奇跡を起こすためにするのではなく、あくまでも、ただ、知るということをし続けるだけ。

瞬間をちゃんと味わう癖をつける。


そして、それから、心の均衡を感じ始める。


何が起こっても、どこか自分の中の深いところで、どんと落ち着いて、地に足がついて、揺るがされない何かを感じる。

何が起こってもそこに帰っていくような。

耐震性の優れた建物のように、打たれてもしなやかにもとに戻る。崩れ落ちてしまわない。

そんな自分を作るには、しっかりした土台。しなやかな心。それらが必要です。

「心の均衡」は、しなやかさとしっかりした土台にある。

私も日々精進しながらEquanimityをもち続けれるように生きています。

そして、それを共有して、自分を知るお手伝いをするのが私の仕事。

さて、勉強するか。