これ大変ですよ、私が教えるのが。
なんでも大事なものを後回しにしまくる私なので。
私のセラピストには本気でExecutive functioningが壊れているから薬を取った方がいいとまで言われた私ですから。
でも、どうにかできるようになるんですよね。
昨日ふと物事を後回しにするときに自分の心の中で言っている「言い訳」に気づいてハッとしました。
「これより、こっちの方が今は大事だから、これは後回し」
まるでちゃんとプライオリティがつけれている感じですが、実はちょっと違う。
自分の中で言い訳している、とはっきりわかってしまうほど、その後回しにしたものをしたくない気持ちがあるからこう言ってしまっているんです。
なぜやりたくないのか。
完璧主義な自分がどこかにいるから。
私の場合、そして多くの人に当てはまると思うのですが、完璧にできないかもしれないから、だったらしない方がいい!
そうだったり、完璧にしないといけないという気持ちが強いものだから、もう少し勉強してから、とか、もう少し休んでから、とか、今じゃなくて後の方が冴えている、とか、そういう言い訳で逃げてしまう。
そんなに対して完璧主義ではないが、もちろん失敗や批判を恐れてしまっているのは事実。
そんな恐れには気が付かず、とにかく言い訳をして、最終的に終わらせるからいいじゃない、といった感じで逃げてしまう。
恐れに気が付くことがなによりも大事だと思います。
私が卒論を終わらせることができたのは私はビパッサナーに行ってガッツリ瞑想して、自分自身をよく見つめて、よく気が付いたからだと思っています。
というか、自分をシンプルに「見る」ということがどんな訓練なのか、ということを体感したから。
金が降ってくるとか、優しい光に包まれるとか、神々しい光をみる、とかなんてことは瞑想で起こったとしても、ただ、起こったね、ってことだけなんですよねー。
瞑想で悟りを求めているうちは悟りは来ない。
「曇りなき眼でみる」(もののけ姫からインスパイア)
ただ、あるものをあるがままみつめる、そしてそんな中、自分自身の落ち着き、バランスを感じ、それを保つ。
Equanimity
神々しく見えたなら、神々しくみえた。
腐っていたなら腐っていた。
心が囚われたら、心が囚われていることを感じる。
ただそれだけなんですよね。
こうやって見つめていくだけで、自ずと自分自身のコアなところにある不安や恐れを見つけることができる。
そして、その不安や恐れが「現れては消え、消えては現れ、を繰り返して、永遠に不安だけや恐れだけが続いていくものではない」ということを知る。そのうち消えるんです。また出てくるかもしれないけど。それもまた消える。ずっと苦しめ続けるものではない。
自分の頭の中で「不安・恐れ」が「苦しみ」に変換されていることに気が付く。
そこから逃れたいがために、実は思いっきり「不安・恐れ」に執着していて、その執着した考えがそれらを苦しみへと変化させている。
そういうからくりに気が付き始めると、後回しにすることは、ちゃんとした理由で後回しにして、今するべきことは単純に今するのがいいから、する、ようになる。
簡単なことなんですよね。
このシンプルなものをややこしくしてしまう、人間の心も、それまた面白い。
そんな自分に気が付いて、そんな自分を愛でる。
自分に感謝。かわいい自分に感謝。
こんな自分を支えてくれている周りの人、世界に感謝。
気持ちよくいろいろなことができます。
明日の授業で話す予定です。
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