2014年3月19日

気づきの次は。。。

最近は走ったり、しっかり瞑想もして、充実の日々なのですが、それでもアップダウンはあるもので、ホルモンバランスが生理周期などと関係してとてもおかしくなることも加えられ、変な精神状態に突然なってしまうことがあります。

そういうときの壊れ方といい、見失い方といい、本当にこれで心理学者として偉そうにクライアントさんを抱えて生きていっていいのだろうかと、ネガティブ思考に陥ってしまうくらい、結構な酷い精神状態になってしまいます。

運動をしたりすると落ち着くのですが、なぜかこの日は走りに行ったのにも関わらず、天気なのかなになのか、もちろん思い当る出来事もあるのですが、それにしても信じられない情緒不安定さとコントロールのできなさでさらに落ち込みを感じてしまいそうな状態。

普段、自分自身だけでなくクライアントさんにもよく言っている対処法を自らしていてもどうにもならない状態で、久々に一瞬落ちていました。

普段の対処法はとにかく素直にその状況を見つめる、知るということ。

何が起こっているのか、どんなことを考えるのか、どんな気分なのか、などをとにかく素直に批判批評することなくみつめてみる、というのが対処法。

その基準として、以下の4つのポイントで見つめてみることを教えていて、それを自分でも実践しています。

*感情、気持ち
どんな気分なのか、嬉しいのか悲しいのかイライラするのか怒っているのか、などなど。

*考え、思考
どんなことを考えていて、どんなセンテンスや説明が頭の中でめぐっているのか

*体の反応、身体的な変化
体に実際にどんな感覚があるのか。手に汗握る、寒い、熱い、などなどの実際に体に起こっている変化に気が付く

*行動
どんな行動をとっているのか。電話したり、何かを食べる、寝るなどなど。

とにかく、これらの視点で観察してみて、そこで気が付いたものに対して批判したりせずに、ただ感じる。

これをしてもどうにも落ち着かなくて、さらにイライラだったり悲しさだったり感情のジェットコースター(ローラーコースターの方がしっくりくる。。。)状態でした。

よく友達が、生理前だからこんなんになるんだ、と気が付いただけですっと落ち着いて、感情のむちゃくちゃさがなくなる、と言っているのですが、この時はそんなことは起こりやしない。

気づきだけじゃどうにもならないし、解決にならない。
さらに気持ちが悪化するし、悪化している自分にもしっかり気が付いているから余計に辛く、こんなのじゃ嫌な思いだけが続いて、これを我慢することを覚えないといけないのか、と深い疑問も湧いてきて、さらに調子が悪く、開き直りそうになっていました。

泣くはわめくはの大騒ぎ状態。
もちろん一人で家で声をだして泣いて、「うわぁーーー」となっていました。

それでも落ち着かない。

こりゃだめだ、なんなんだ?今まで私が信じてきたものは間違いなのか?
誰もこんなんじゃ癒されないじゃないかー、と思っていた時に再度トライ。

自分の苛立ちや悲しさに素直になり、気が付く。

そこで気が付いたのが、まだまだそんな感情(ネガティブ)に抵抗している自分。

気が付いただけでいいじゃないか、と全く自分のネガティブな感情だったり浮き沈みを受け入れ、許すということもせず、ほぼ回避、抵抗するように水に流したい自分を発見したのです。

「私は怒っている」
「私はイライラしている」
「私は全てが不公平だと信じている」
「私は自分が素晴らしいと信じたいが、信じられない状態で、弱っている」
「自分がろくでもない人間だと思っている」
「そんなひどい人間だと思いたくないと思っている」
「いろいろなことが信じられないし受け入れられないでいる」

どんどん出てくる考えを一つ一つ、そうね、そう感じているのね、と気が付き、受け入れてみました。
そんなダメな人間で私はいいんだ、と許しながら。

「受け入れる、認める」という部分を飛ばしていたんですね。

気が付いて、受け入れて、認めて、それを自分のものとしてしっかり抱きかかえて、自分自身にそれでいいんだよと言ってあげる。自分自身を許す。

甘やかす気持ちで許すのとは違って、しっかり観察し、気が付き、素直にいいところも悪い、嫌なところも自分にあるんだな、と認めた上で「許す」から意味があるのです。

そうしたら、本当に自分がちゃんと愛おしく思えて、Self-Compassionをすーっと実践でき、視界がどんどんクリアになっていきました。

クリアになるだけでなく、今までどうしても許せないとか変えられないと感じていたことが全て、なんでそんなに抵抗してたんだろう?と疑問に感じるほど楽に。

抵抗するほど自分って自分を守るのに必死で、さみしくて、愛されたいんだな、ともっと気が付いて、心はどんどん軽く広くなっていく感覚を感じていました。

そうなるといろいろなところでの疑いが消えていき、自然とポジティブに。

クリアに、詳細に及ぶポジティブ想像ができてしまう。

想像というよりも、そうなると信じてまるで予測しているかのよう。

まだまだ安定した感覚にはなっていない気がしますが、これは素晴らしい発見で、意味ある体験でした。

これでもっとセラピストとしての仕事に自信が持てます。

毎月行っているグループの次の4月のテーマは「人間関係における愛着・執着」。
このアタッチメントをマインドフルネスを使って見つめてみて、自身を解放していきましょう、という会になります。

まさしく、その時のために今体験したのではないか、と思えるほどタイミングが良かったです。

次のグループが楽しみです!




2014年2月19日

信じるということ

信じるというのはとても難しいことだな、と最近よく思います。

最近、学校も終わり、いろいろ変化の時なので、不安を感じることが多いから「信じる」ということをよく考えたり、感じたりするのだろうな、と思っています。

自分の価値を信じる。

不安がそこにあるから、自分自身のクオリティーを疑ってしまって、落ち込んだり、ネガティブな考えばかりをしてしまったり、それをやめたくて、怒りにすり替えてしまったり。

不安、怒り、落ち込み、ネガティブ思考、どれも悪くないのに、悪いことのように扱って、そうすることでさらに自分自身への疑いや自分を信じるということから遠のいてしまう。

人ってそんな状態を繰り返してしまうのだな、と。

もちろん、加えて生理前なので、そんな不安定さは激しい波のように襲ってきます。

そういう時にどうしたらいいのかはよくわかっているのですが、なかなかそうできなかったり、してもどうにもならないと、信じていなかったり。

そんな中で一つ大事な気づきをしました。

できることをやってもなかなかすぐには変化は来ないということ。

勇気がいる作業なんです。勇気と心決めが必要。

毎回クライアントさんにも言っている、「訓練」なのだということを改めて感じています。

それらを少しづつ体で知っていくだけで、大きな変化は現れてきます。

何がすごいかというと、これは心理学者として言うべきことではないのですが、訓練が効いてきて心が落ち着いていく、というだけでなく、心を落ち着かせてくれるような、まるでご褒美のように、いいことであったり、素晴らしい気づきを与えてくれたり、マジカルなことが起こり始めると思っています。

こんなこと今まで信じられなかったのですが、信じられないという自分の心を知り、受け入れ、それでいいよと言ってあげる、そりゃそう思うよね、と自分に言ってあげることで、信じられるようになってきているような気がします。

私はおじいちゃんと話をよくするのですが、

(もう他界している、しかも一度も会ったことのないおじいちゃんですが。。。精神科的に言うとDissociationなのかDelusionなのか、本当に話をしていたら問題ありかもしれないです。心理学的に考えるとこうすることでストレスに対応していて、事実ではないがツール的に役立っているもの、なのでしょうか)

私の心理分析的な発想でもって、かなり懐疑的に思いつつも、彼の言葉をかなり信じていて、本当に助けられています。

いろいろなことを教えてくれてます。大事なことばかり。

もうすでに私が知っていることをこのような形で思い出すきっかけになっているだけ、なのかもしれませんが、とにかく彼のいうことは百発百中で当たるので、最近本当に信じないといけないな、と思っています。

その彼に私の問題は「信じるということ」だと毎回言われていて、まさしくそれを思い知らされる出来事が続いている気がします。

何よりも、自分のことを信じるということ。

自分の素晴らしさを知り、信じること。
ダメだと感じている部分も含めて、知り、成長していく自分を信じること。

レジリエンス、復活力、心のしなやかさを高めていくのに大事なこと。

これからの自分が楽しみに感じてきました。


22日の土曜日にグループをします!
それがさらに楽しみになってきました。
ご興味のある方はご連絡ください。
eri@erilicious.com

2014年1月3日

仕事納めの時に思ったこと

仕事、といっても、インターンなのですが、31日までは周りのみんなは働いておりましたが、私は30日で切り上げてきました。

うちのボスなんて、絵理は明日くるよね、と30日の日に普通に言っていて、来ないよって言ったら、別に来いっていうわけじゃないけど、そうなんだー、オッケー、俺は来るけどね、なんていって、厳しいことをまったく言わない人で、来いとか、休んじゃだめだとか言わないだけに、あれ、来ないの、と言った自分の発言が自分らしくなかったからか、ほんと、別に来なくてもいいんだよ、来て仕事してもいいし、と何度か若干気まずそうに言っていました。彼らしい。

そんな感じで、さりげなく終わりかけた去年の暮、仕事納めだと感慨深く感じていた時に思い出した話があったのでここで書こうかな、と。

いろいろな患者さんが来る病院でインターンをしていて、セラピーをするよりも、アセスメントばかりをしているのですが、最初のインタビューでまるでセラピーのようになることもたまにあり、この話もちょっとそれっぽい話。

書く前に、私は個人的にはこの段階(アセスメントの段階)でセラピーのように話をしたりはしないです。あくまでも情報集めだし、私がセラピストとしてアサインされているわけでもないし、セラピーという意識で私も行っていないうえ、相手の患者も当然そうは思っていないので、そういうところでセラピー風なことは自然にしないでやっています。
なんとなく、これはクリアにして、本題に入ると。。。

ERからの連絡は全部が既に何かしらの精神障害を患っている人が来た時のコンサルテーションで、ほとんどの患者さんが入院経験があるとか、多くの精神薬を飲んでいる人ばかり。
そんな人が何かのきっかけで調子が悪くなり、死にたい、とか言い出してやってくることが多い。
それか薬をもらいに来るか、寝るところがないから自殺をほのめかして、ホテルのように泊まりにくる患者もいたりします。

この日の患者さんは何度か入院している人。この日は、自殺したくなりそうで、まだ計画は具体的にはあるようでないが、おかしくなりそうだ、と言ってやってきました。

40代後半の男性で、過去に4回もの自殺未遂。未遂というか、生かされてしまった感じで死なずにすんだ人。
1度目は車の走りまくる道路に飛び込んで、内臓とかぐちゃぐちゃになりながらも一命をとりとめる。
その次は薬物のオーバードース。これもコカインだったかなにかで、心臓も止まったそうだ。それも蘇生されて、また一命とりとめる。
3度目はピストルを持って頭を撃ち抜きかけているところを誰かに発見され止められ、助かる。
4度目はロシアンルーレット状態に拳銃を準備して、本当に頭を撃ち抜いてしまい、脳挫傷をおって、瀕死の状態で運ばれたが、これまた一命をとりとめ、今も元気に暮らしている、という状態。

奥さんが亡くなったのが12月ということで、12月になるとそれを思い出したり、過去のつらかったこと(小さいときにお父さんに性的虐待を受けている)などを思い出してしまい、過去の自殺未遂も同じ時期にしている。去年は精神科に入院して過ごしている。

それもきっかけとなり、12月のERにやってきた。

30代後半くらいから薬にはまりだし、薬を売りながら、自分も中毒。子供がいるが、まったく疎遠で、ろくでもない父親だと自分を思っていて、そうなるとさらに鬱がひどくなる、という悪循環を繰り返している人。

私と精神科の研修医と一緒に話を聞きに行った。
基本的に、私は隣で見ているだけで、インタビューは研修医の人がする。
私がするときもあるが、このときは彼がリードして話をしていて、私は聞いているだけ。

一連の話しを聞き、研修医が、「ひとつ言わせてもらうと、あなたはとても自分を責めているんだね。これだけのことを経験して、ちゃんと病院にきてどうにかしようとしているし、ここまで生きているんだから、すごいことなんだよ。」と話し出した。

「自分を責めるのはやめて、自分がちゃんとしていて、素晴らしいモチベーションがあると気が付いてもいいんじゃないか」

と彼は話している。

私は横で聞きながら、素晴らしいことを言っている風だが、私だったら違うことを言うな、とひっかかりながらも、口出しせずに聞いていた。

そして、この患者さんはやはり危険な状態にあるということで、入院することに。

インタビューの後、研修医の人と話をしながら私たちのオフィスに戻っていた時に、研修医の彼曰く、なんだか今日のはよかったな、と。どこか彼(患者さん)の人生に影響するような、彼にとって大事なことがいえた気がする、と言って、研修医の彼はいい気分だった。

私は、その傍ら、私の思っていることがうまく言えず、よかったね、そうだったね、と言うだけ。
研修医の彼に私の考えていることを伝えることが上手にできなくて、そのまま心うやむやな状態で過ごし、なぜか年末の仕事納めの時にこの時のことを思い出して、今だったらどう伝えるかとか考えてしまっていた。

未だにうまく伝えれる気はしないのだけど。

私が思ったのは、この患者さん、自分を責めていることは百も承知で分かっている、ということ。
周りに怒って、親に怒って、自分自身にも怒りがいっぱいで、社会にも怒りがあって、でも、それを自分に向けて、どうすることもできなくなって、というのが彼の現状。

その外に向いた怒り、彼自身の感じている、取り残されたような、社会や家族に裏切られたような悲しさからくる怒りに関しては、こんな彼(ドラッグ中毒で子供もろくに育てられない人)が感じるというだけで社会からはうまく認めてもらえないもの。
だからこそ、彼も自分を責めるということしか残されていなくて、そうせざるを得ない。

そして、その自責の念から自殺未遂を繰り返し、悲しい出来事が続き、抜け出れない感じがして、鬱が酷くなり、また自殺を繰り返す、という悪循環を続けている。

私がこんな彼がもしもセラピーに来たらまずすることは、その怒りへの促し。
いかに彼が怒っているのか、社会がフェアじゃないと感じているのか、親への怒りだったり、今まで出会ってきた人たちで、まともそうだけど、あんたはできるから頑張れ、というようなことを言ってきた人たちへのいらだちと怒りに気づいて、それはいいんだよ、ということを彼自身に知ってもらうということをすると思う。

自分を責めているのはよくわかっている。
それを知ってもらって、慰められて、一瞬だけ気が晴れたような感じがするんだけど、結局同じところに戻ってしまう。
そんなことを繰り返している彼だから、このままだとまた来年の12月にまた同じ自殺願望にさいなまれ、もしかしたら今度は成功してこの世の人ではなくなってしまうかもしれない、というのが私が思ったこと。

こんなに生かされている彼だから、生きて欲しい、とどこか本能的に思うのは自然なことなんだけど、生きるということは、彼がこの怒りに気が付く必要がある、ということでもある気がする。

ここまでいうと私の勝手な理論かもしれないのだけれども、だから彼はこんな瀕死の状態を、多少の障害(脳挫傷のせいで)をおいながらも生きているんだろうな、と思った。

怒りに気が付いて、怒っている自分を許し、悲しんでいる、さみしい自分を知り、許す。
そんな自分自身への最大の愛を自分で送る。

そうすることで、ちょっと逆説的ではあるが、今まで怒っていた人たちを許し、愛することができると私は思っています。
そうすることで、鬱から解放され始める。

これは、私自身が経験して、今も日々感じて生きているからこそ思うことなんですが、怒りなどへの気づきと自身への本気の愛情がいろいろなものを驚くほど変えると信じているからこそ思うこと。

大体、悲しさや寂しさが第一の最初の感情で、怒りはそれらの次に来る二番目の感情だということを誰も知らないことが大きなポイントかもしれません。
そういう意味で、怒りや許せない感情というのは大切なキーだな、と思います。特に鬱傾向にある人は。鬱とは自身に向ける怒り、と心理学会で言われてますから。

そして、そんな自身への許しと愛情を向けることがいろいろな変化を促す、と私は思っています。反対する人がいるかもしれませんが、譲れないほど、強く信じていて、自信を持っている私の直観と技量。

うまく研修医の人に伝えられなかったのが私の未熟さだな、と感じて、今年の抱負の一つとして、こういうことを上手に伝えるということを足そうかな、と思った新年の日々でした。

ますます、2014年が楽しみです。