2013年7月25日

superego and resistance


このタイトルだけつけて、内容を書いていなかったのですが、下書きにあったので書き始めてみました。

心理学のクラスをちょっとでもとったことがある人は必ず聞いたことがあるこのSuperego。
フロイトの言うところの精神を3つの区分に分けたうちの一つです。
Ego
Id
Superego

エゴが動物的で衝動的なイドと、理性の固まりのスーパーエゴの間を取り持ち、人間らしく振る舞うようにしている、というのが一番わかりやすいこの3つの関係性だと思います。

イドはこれが欲しいと思ったら手がでてしまう。
それがお金を出して買わないといけないものでも盗んでしまう、という感じ。

そこでスーパーエゴが、買わないといけないし、そんなどころかそんなもの要らない、とかそれを欲することは人間としてだめだ、もっとちゃんといろいろ達成した人間だけがそういうものを得ることができるが、お前はだめだ、と言ってしまう存在。

その間をエゴが、まあまあ、とどちらもなだめて、自己に厳しくいいつつも、欲しいものを購入する、という流れ。

スーパーエゴは環境、親や周りの目上の人間、社会、文化などから作られるもの。

周りに怒られたりしたことや、文化的にこうあるべき、という情報が外から入って、それらがどんどん自己の内に入っていき、外からの情報であったものが、自身の信じるものとなり、スーパーエゴを生みます。

それを学ぶこと、知ること、自身に取り入れて行くことがサバイバルの大事な条件で、生きていくために、自身を守るために学ぶことなので、スーパーエゴが悪い訳ではないのですが、そのうち、これにあまりにも気を取られて、本来の自分自身を見失ってしまうというのが全ての人の通過する道。

そこで、本来の自分を知り、自身に優しさ、愛情をもつということを学んで、さらに次のステップへと進み、苦しみから解放されて行く方向に向かうのも人間の自然な道だと私は思っています。

スーパーエゴに飲み込まれず、本来の自分を取り戻すというところが大変で、気づかずにそのまま生涯を終える人も多くいると思います。

時代は変わってきていて、霊性の高い意識が大切になってきている時代なので、気づかされ、突き動かされるように変化している人は確実に増えてきていると思います。

一番こういうものから縁のなさそうな科学の世界でも、だんだん流れは霊性の高い意識から生まれるクリエィティブさで動いている気がするほど、人の意識の物質に与える影響などが研究されつづけていたり、関係のなさそうなところでも、発想は霊的なものから受けはじめている気がします。

特に脳科学の世界では、様々な人間の活動/行動、思考などが体そのものや脳に影響していて、苦しみから解放されることは本来の自分自身を取り戻し、さらに知ることにあることを科学的に補助/説明していっているかのようです。

で、スーパーエゴに飲み込まれないようにするには。。。

まずはスーパーエゴの声に気がつくこと。
いつも自分自身の中にある批判的、避難する声に気がつく。

結構な口の悪さで、自分に、それはだめだろ、馬鹿じゃないのか、もう少し考えろ、と言っている声がありませんか?

セルフコンパッションの先生が例えで話していた話ですが、テストの点数が抜群に悪く、帰宅した子供に、お父さんが、「がっかりだ。なんてお前は馬鹿なんだ。ちゃんと勉強しないからだろ。大学になんていけないね。もうお前は終わりだ」という風に言ってしまう。

それが子供の中で自身の声になっていき、何をするときにでも、そうやって自分を批判するようになる。それがつらくて、結局なにもチャレンジしない、全てをあきらめてしまう子になってしまう。
もしくは、とにかく、親にちゃんと認めてもらいたいために無理をしてがんばったりして、自身の違う側面を無視して自己を失ってしまう。

という人が多いのではないでしょうか。

もしも、お父さんが、「それはつらいね。お前もずいぶんしんどいだろう。つらいことはよくお父さんにはわかるよ。次にがんばれるようにお父さんはどう手伝おうか?一緒に考えよう」と言ったら、自分らしく無理なくがんばれる、自分の欲しいもの、希望をちゃんと知って、意識しながら、自然に努力することができるようになるのではないでしょうか。

親も人間で、つらいし、自分を責めて生きている、私たちと全く同じ存在。
だから、うまく優しさでもって反応して、受け入れるということがなかなかできなかったりするのです。

今となってできることは、この優しい声を自分で自分自身にかけてあげること。

その前に、スーパーエゴの声を聞き分けることからしていく、というのが大切です。

ただ、タイトルにあるresistance抵抗という言葉からもわかるように、このスーパーエゴは自身を守るために身につけたものなので、それをまるで否定するようなことはできず、抵抗してしまうのです。
失う怖さからも、スーパーエゴに向き合うことができない。

表面的には、そんなものは信じない。しっかり人間はするべきなんだ。
誰がなんといおうが、自身にやさしくするなんて、軟弱ななにも結局できない人間をうむだけなんだ、と言って、自己に優しくなる、ということを全否定するという風な行動として現れます。

これが抵抗なんですね。
抵抗からくる行動と思考。

スーパーエゴを知り、それが自分の声ではないことを知り、それとうまくつきあう、ということに抵抗するということから脱するのは容易ではないです。

かなりの勇気が要ります。

その辺りの変化を少しづつしていく上で、インナーチャイルドに会いにいって、少しづつ自分をしり、何かしらのセラピーを受けたり、瞑想をしたりすることで、抵抗がやわらいできます。

勇気と努力と忍耐力がいる気がしますが、今いる場所にいるより自分らしくいれるところへ行くので、確実に癒されて行きます。

これを読んでしまった時点でみなさんターニングポイントですね!


2013年7月8日

インナーチャイルド

背中がびしょ濡れでも気にせず闊歩する甥っ子

インナーチャイルドってよく聞きますが、いったいなに?と思っている方も多いのではないかと思います。
そして、それがどうしたんだ、と思っている方もきっと多いはず。

インナーチャイルドに関して、私が思うところ、知るところを今日は書いてみようと思い、コンピューターを立ち上げてみました。

内容的に、かなり個人的に偏ったものになってしまうかもしれないので、ご了承ください。
意見がいろいろあると思うのですが、私の思うところ、知るところ、理解を書いてみたいと思っています。

まず、正直、心理学をここまで勉強してきて、このインナーチャイルドについて学んだことはありません。心理学の世界ではほぼ話に出てこないコンセプトです。

最近の、特にNYでの心理学の傾向としては、やはり分析系の心理学(フロイトなどの古典的な感じの心理学)よりも認知行動系に移行しつつある感じがあります。
よく言う、Eclecticと言われるカテゴリーに入る、という人も多くいます。要するにいろいろなアプローチをミックスしています、というもの。そんな人で、分析をかじった人も、あまりこのインナーチャイルドという言葉を使ったり、インナーチャイルドに関するワークをするという人はそれほどいない気がします。

もともと、インナーチャイルドという言葉はユング心理学の中のアーキタイプの一つとして出てきたものらしいですが、そのユング心理学もあまり多く取り入れられている様なものではなく、どちらかというとニューエイジ的に扱われていて、学校で学ぶ心理学の中には含まれていない場合が多いです。そいうこともあって、心理学を学問として徹底的に勉強してもインナーチャイルドについては学ばないのだと思います。

そんな中どうして私自身がインナーチャイルドに興味を持ったかというと、個人的にスピリチュアルなものやニューエイジ的なものが大好きであること、そして自分自身がこのインナーチャイルドを大切にするというワークをしたことで得たもの、知ったことが多かったことが理由としてあがってきます。

さらに、心理学を勉強して、自分自身のセラピーのスタイルが確立されてきて、インナーチャイルドの新しい意味での大切さを感じるようになり、それを裏付けるように、他に私が心理学の勉強をする中で学んだテクニックやアプローチの中に、通じるもの、インナーチャイルドのワークが役立つというのが見えてきて、興味が深まり、インナーチャイルドがブレイクスルーの大事なきっかけとなる、と感じています。

新しい意味、と書いたのですが、ユングの時代の理解からさらに進化しているのでは、と感じて「新しい意味」としてみました。

自分の意識の中の深い部分に追いやられ、押し殺された自分自身の一部であるインナーチャイルド。
それがユングの言うところのアーキタイプというもの。ユングの考え方として、これらの押し殺され、無意識に追いやられた自分自身をできるだけ意識上に持ってくるということが癒しにつながるとあります。いろいろなタイプのアーキタイプがあり、それらが人の人生において様々な意味を持ち、それらを知ることで自身の認知が深まり、意識領域が増えていく。

意識領域が広がることで、癒しへと導かれる、ということになります。

ユングをしっかり勉強していないので、理解が間違えているところがあるかもしれないのですが、私が読んで理解したユングの考えを上記だとして考えて、この癒しのプロセスとは、私の考えるところ(信じるところ)、自己をしっかり知ること、だと思っています。

それは、自身を知り、自分自身に対しての愛情と慈しみを感じることで癒しが起こる、というプロセスだとも私は信じていて、癒しのプロセスのお手伝いをセラピストとして私はしているし、どんどんしていきたいな、と思っています。

その癒しのプロセスの一つとして、特にパワフルなのが、このインナーチャイルドのアーキタイプを知ること。

単に、自分自身の小さい時の性格であったり、自分の中で、大人になるにつれ、必要がなく、大人として人生を生きていく上で、自己を守るためにどこかへ押しやったほうがいい、とされてきた「部分」がインナーチャイルド。

無邪気に遊ぶ甥っ子

実は、その部分をどこかに葬り去ることは精神の健康上あまりよろしくないことなんです。無意識の世界へ押しやることが当たり前になり、更なる悪循環を招き、なかなか悪循環(無意識の奥へインナーチャイルドを押しやるという悪循環)から抜け出せれなくなり、苦しさが増していきます。

自分を守るために押しやったものだから、なかなかその行為をあきらめることはできず、苦労してしまうんです。自分を守る行為だと心底信じているから、それを手放すことができない。
やっぱりどこかに押しやってしまった方が都合がいい、という結論になってしまう。
あまりにもインナーチャイルドなんてありません、という態度でずっといるものだから、それが当然になり、そのインナーチャイルドの存在を知ったところで、なにも自分の中では変わらないと信じていて、今ある苦しみさえも、変化がない(苦しみから解放もされない)ものだから、苦しみはそこにあり続け、大きくなり続けているのに、麻痺してしまって、苦しさがわからなくなっていく。
そうなると、さらに、インナーチャイルドのワークをすることの意味がわからず、自己を傷つけ続けてしまう。

私は、自身をよく知り、批判、評価することなく、ただ、ありのままを見つめ、受け入れ、許す、ということが癒しにつながると信じていて、これらをすることがマインドフルネスだと思っています。
そのマインドフルネスの中でも特に大事なのがセルフーコンパッション、「自己への優しさ、思いやり」です。自分自身を慈しむ心。

自分自身への優しさと慈しみを持つということも、今まで自分を守ってきた方法と違いすぎて私たちにとってはとても難しいもの。手放すことができず、優しさを自分に向けることが怖くてしょうがなく感じてしまう。

それだけの抵抗がある人でも、インナーチャイルドのワークが一番入りやすいと感じています。
セルフーコンパッションを持ち、実践する為に、インナーチャイルドに出会い、その子供に対して愛情を向ける、ということが自身へ向けた愛情なのだけれども、どこか対象が自分ではなく感じれるところもあって、愛情を向けやすく、抵抗が比較的少なくなります。

インナーチャイルドに向ける愛情は、もちろん究極的には自身に向けられた愛情なので、そこで癒しが起こる。
さらなる気づきと自己への思いやりが深まるわけです。

そうなると、他人への思いやりも容易にもてるようになり、人間関係が驚くようにスムーズになる。

苦しみが少しづつ増えなくなります。

いつもクライアントさんに言うのですが、苦しみは消えないものです。
痛みはそこにあるもの。
その痛みを1として、1のままで感じて、対応すればどうにかできるのに、自分の意識で勝手に100にも1000にもしてしまう。だから、苦しさが大きくなり、続いていくんです。

痛み・苦しみを1のままにすることがインナーチャイルドのワークをすること、マインドフルネスを実践していくことで、できるようになってきます。

私自身のインナーチャイルドワークの話なのですが、かなりパワフルなものでした。
最初やり始めたころはマインドフルネス瞑想などは始めてなくて、瞑想らしきものをたまにしていたのですが、今ほどはしていなかったので、今思えば、瞑想やマインドフルネスのコンセプトだけでも知っていればこのインナーチャイルドのワークはもっと早く深みに達することができた気がします。

それでもかなり強烈な体験でした。

私の出会ったインナーチャイルドは4-5歳ぐらいの男の子で、最初はめちゃくちゃ怒っていました。怒りだけしかなく、話してもくれないし。だからといって、暴れるわけでもなく、ただ、怒りに震えながらそこに立っているだけ。

次に会いに行ったときには、怒りどころか、感情が一切なく、だらっと地面に寝転んで、私の存在は無視。話しかけても何をしてもまったく反応がなく、まるで死んだようにだらっとしているだけ。

それだけ自分自身がその子供を無視し続けて生きてきたことに気がつきました。

毎回会いに行くたび、私は何が悲しいのかわからないが、号泣して、なにかが洗い落とされる、涙で流し洗われるかのように変化が始まっていた気がします。

壁が壊れ始めた。

何の壁なのかはわからないまま、何かが変わりつつあるということだけは体験として感じていました。
自分を大切にしていなかったことに気がつき、どうやって大切にするのか、というところに意識が向き始めました。
自分へちゃんとフォーカスが行き始め、人を優先する、もしくは人を拒否するという、外にいる人にフォーカスを置くのではなく、自分というものを見つめ、自分の心に問いかけ、最優先に考えるということの大切さと意味を知り始めた感じもありました。

最初のころは1日おきくらいに会いに行き、何度も泣いて、浄化して、そのうち子供がやっと相手をしてくれるようになり、荒れまくっていた海が静かに、穏やかになっていくようでした。

それが私の変化の始まりでした。

それからいろいろなことを実践し、くじけたり、考え込んだり、忘れてみたり、思い悩み、悪戦苦闘しながら、瞑想をちゃんとし始め、卒論なども終えることができ、自分のセッションへの想いが変わり、自信もついてきて、更なる旅を続けている感じです。

今インナーチャイルドをすると不思議な女の子が出てきます。
その子はいつも川で遊んでいて(私は水辺が大好きで、川原の石でいつも遊んでいる子供でした。それが私の癒される場所)とても集中しています。
話しかけるとちゃんと聞いてくれているのだけど、言葉を発することはなく、テレパシーで遊びながら話してくれます。
そして、いつもなにかとっても意味ある言葉をくれて、最後に魔法の杖で魔法をかけてくれます。

自分の中にある、神がかり的な、スピリチュアルな面をどんどん生かしていけ、忘れるな、と言われている気がしています。

今まで、心理学を勉強し、アメリカの大学で抜群に良い成績を修めるということに集中していた私にとって、スピリチュアルなものやニューエイジ的なもの、哲学は邪魔なものだったので、封印して勉強ばかりしていました。それでも宗教学も専攻していたので、どこか片足だけ突っ込みながらも。。。

その時代は自分自身の人の心を感じれる能力や、鋭い感覚を完全に無視し、どこか記憶の彼方に押しやっていました。霊的な感覚は必要ないと判断して、そんな能力や霊的な自分はいないものだとして勉強に集中していたのです。

今やっと、それらも全て受け入れ、今までに培った全く別なものと上手く自分という個体の中で合わせて、自分らしさとしてセラピーに発揮していっている気がしています。

そうなれるのもインナーチャイルドのワークとマインドフルネス瞑想のおかげが大きいなと強く思っています。

そういう意味で、最近インナーチャイルドのワークに力を入れつつあります。

インナーチャイルドに会う誘導瞑想はスカイプセッションでもできますし、フルセッションとは別にインナーチャイルドセッションを少し低額で、定期的に行っていけるように、別枠として提供していくつもりです。

ご興味のある方はご連絡ください。

忘れていた大事な自分を再発見して、さらに豊かな生活を送ることができるように。