2012年6月15日

tear by red hot chili peppers

泣ける。
この曲が物凄く好きで。
私の解釈は人とは違うかもしれないが。。。

TEAR BY RED HOT CHILI PEPPERS 

This is my time
This is my tear
I can see clearly now
That this is not a place
For playing solitaire
Tell me where you want me
This is my time
This is my tear

Comin' on strong
Baudelaire
Seems to me like
All the world gets high
When you take a dare
Let it rise before you
This is my crime

All in all and I'm
Loving every rise and fall
The sun will make and I will take
Breath to be sure of this
In the end and then
All will be forgiven when
Surrender rises high and I
Gave what I came to give

Say it now because you never know

Devil may cry, devil may care
Distiller's got a scream
And now I know just why
When she's movin' air
Can you feel the voltage
This is my time

California skies
Got room to spare
This is my time

All in all and I'm
Loving every rise and fall
The sun will make and I will take
Breath to be sure of this
In the end and then
All will be forgiven when
Surrender rises high and I
Gave what I came to give

Say it now because you never know
Oh, never know

Take it outside
Take it out there
Seems to me like
All the world gets high
When you take a dare
In the final moment
This is my time

All in all and I'm
Loving every rise and fall
The sun will make and I will take
Breath to be sure of this
In the end and then
All will be forgiven when
Surrender rises high and I
Gave what I came to give

Say it now because you never know
Oh, never know



ハイライトしてアンダーラインした部分を歌い上げながら泣いてる。(気持ち悪いかもです)
サビです。

なんとも、人生しんどい想いも沢山して、それからなんとか這い上がって、で、大地、自然、人やいろいろなもの、というか神なのかな、から許されるというか。最終的に、いくところまでいくと、上がるしかないような。

辛い傷、テアー(涙のTearと破れているTearとかけてるのかな、と思っていますが)がある。それでも日は昇り沈み、自分は許される。

あー泣ける。

いま、これをリピートで聴きながら書いてます。

久々に聴いた。
一時期、なぜかこればかりをかなりのヘビロテで聴いてました。
最近は音楽を聴く事があまりなくなり、ついでにお酒の量も減っている気がします。

今日は、ビールを呑みながら、酔っ払ってやるぞ、と思いながら、そして何の感傷にひたるのか、この曲を聴きながら涙しています。

どんな風に生まれてこようが、どんなことをしようが、どんな失敗をしても、どんなに偉い業績を上げても、なにをしても、みんな一緒だよ、と言われているような。妙に泣けるが、励まされ、自分を愛でる事ができる気がする曲なのです。私にとっては。

loving every rise and fall....

ここが好き。

これは私の今まさしく目指すところ、と想ってしまいます。

久々のレッチリ。アンソニーの独特の歌いっぷり、チャドさんのなんだかんだといいドラム、ジョンフルシャンテのまるでチェットベイカーの語って泣いているトランペットのようなギター、そして何よりも私の大好きなグルービーで、そして愛のあるフリーのベース。

最高ですね。

不思議な今日の終わり。

2012年5月22日

Vipassana again ビパッサナー瞑想

やっとこの度の私にとって2回目のビパッサナー瞑想の感想を書けます。

書けます、なんて書くと大げさだけど、昨日は用事があった上に、かなりの頭痛で、必要なメールなんかを書いていたら、それだけでいっぱいいっぱいでした。

さて、長くなります。今回読んでくださっている方、覚悟してください。

下にたった2枚だけ撮ったセンターの写真をつけておきます。こんなにのどかなところです。

そのセンターの入り口

中の庭


まず、いったいどんなものに行ってきたか。。。毎日のスケジュールが決まっているので、それを書いてみます。

4:00am  wake up
4:30am-6:30am  meditation 
6:30am-8:00am breakfast and rest
8:00am-9:00am group meditation (mandatory)
9:00am-11:00am meditation
11:am-1:00pm lunch and rest
1:00pm-2:30pm meditation
2:30pm-3:30pm group meditation (mandatory)
3:30pm-5:00pm meditation
5:00pm-6:00pm tea break
6:00pm-7:00pm group meditation (mandatory)
7:00pm-9:00pm Discourse and meditation (講話)
10:00pm lights out

と、こういった内容です。朝4時に起きて、10時に消灯するまでびっちり瞑想。
もちろん、Mandatoryと書いた、絶対に行かないといけないグループでのSittingの時以外の時間はみんな自由にしてます。
まったく瞑想してない人もいたりするし、やったり、休んだり、という人もいます。

私の場合、前回は少し休んでいた(ルームメイトは私以上に休憩が多い感じでしたが)ものの、まあまあ行ってました。それでもちょっとぷらぷら散歩したり、とかしたりして、ぴっちりは座っていなかった。
今回は気合を入れて、絶対に全部座るぞ、と思っていたので、かなりちゃんと行きました。
もちろん、途中でトイレ休憩などもあるので、ちょこちょこ空きますが、最低でも8時間から9時間はしっかり座っていたと思います。

まず、最初の3日半はAnapanaアーナパーナという呼吸と鼻の辺りの感覚だけに意識を向けるという瞑想だけをして、3日半経ったら、Vipassanaビパッサナーのやり方が説明され、それに移行します。ビパッサナーは全身の感覚を感じ、気づき、それがどんなに不快であろうと、心地のいいものであろうと、平静な心を保つ、というのを鍛える瞑想です。

今回が二度目ということで、私はOld Studentになります。Pagodaという瞑想用の独房の建物があり、その独房Cellをビパッサナーが始まる4日目からOld Studentはあてがわれます。

独房は畳1畳ほどの広さで、完全に暗室になり、とても静かで集中しやすいところです。私もそこを4日目にはいただき、だいたいグループ以外の時はそこで瞑想してました。
ただ、今回はそのPagodaの2階を建築中で、ドンドンカンカンと工事の音がうるさく、集中しにくそうな感じで、ちょっとそれが気になるときもありましたが、完全に集中して瞑想に入ると、その音をしっかり聞いているのだけど、気にならなくなってきます。

ビパッサナーはまさしく、そのように不快なものも気にならなくなるための修行、瞑想なのです。
不快であろうと、なんであろうと平静でいる。
これを体の感覚を通して、それを体感し、しっかり体験することから学んでいきます。頭の中のトレーニングではなく、しっかり体のトレーニング。

さて、宿泊環境ですが。。。
この1月にオープンしたとかで、男女共新しい部屋が増えていて、ほぼ全員が個室が与えられ、かなり快適でした。前回は2人もルームメイトがいたのですが、今回は一人で、自分のバスルームがあり、一人の時間が完全にできるのですごくやりやすかった。

前にしているし、どんな感じで進むのか、どんな気分になるとかいろいろとだいたいわかっているから、今回がどんな体験になるか楽しみだったのですが。。。

ここから私の体験。本題です。

今回は前よりもかなり気持ちが違って、しっかり忠実に言われるとおりにやるぞ、と思っていたのと、やはり瞑想そのものにかなり慣れてきているので、瞑想中に他のことを考えたり、気持ちがそれることに気がつき、呼吸に戻るというのを前回より意識しました。
前回はその1時間座るということだけでも必死だったところがあったので、メンタル、体に集中する事が意外とできていなかったんだな、と今回で思いました。

最初の5日から6日ほどはかなり調子もよく、それなりに感情的になっていたり、他の生徒がダイニングなんかで号泣しているのを見たりして、ちょっと影響されたりして、かなり自分の心も体も敏感でオープンになっていました。

でも、調子はとてもよく、苦しいという感じはほぼない感じで、こういう形で深みへ入って行くのかな、なんて思っていたら。。。

7日目からの3日間、地獄のように苦しかった。

体もなれて、1時間座る事が苦痛ではないし、いい調子だったので、何が苦しくなるのか想像がつかなかったほど。

呼吸ができなくなりました。
どうしていいのかわからず、本当にグループで瞑想しているその静けさの中叫びだしそうで。立ち上がって走り去りたいような。体の衝動ではなく、頭の中が混乱して、それにさらに自分自身がショックだったのか、さらに混乱して。

呼吸のできない苦しさ、その場合どうしていいのかわからず、それでも平静さを保つのか?私は死んじゃうかもしれない、先生に話したほうがいいのか、どうしたらいいんだー、と外見には微動だにせず静かに瞑想している風だったと思うが、内の苦しさと葛藤はすごいもので、1時間が長いのか短いのかもわからず、ぐちゃぐちゃで過ごしてました。

疲れ果てて、散歩もできず。外の散歩はとても少なかったです。ぐったりして、泣きながらベッドでただ休む日々。

苦しくて苦しくて、座りたくなんかないし、瞑想したくないんだけど、それこそが私の中の汚濁、汚れがでてきているのだ、と思い、浄化すれば何かが変わる、楽になる、と信じて、奮い起こして瞑想室へ行き、瞑想しながら、全く楽になんてならない3日間を過ごしてました。

心の浄化が目的のこの瞑想。
心の汚濁とは、様々な感覚を感じ、それに対する反応(これは気持ちがいいからもっと欲しい、か、これは心地が悪く苦しいからいらない、というもの)のことだと。過去にしたそういう反応・反発が無意識に残っていて、どんどんたまっていく。それが苦しみの根源。

その苦しみから、心を浄化して、汚濁をきれいにしていくことで自由に開放されるための瞑想。

だから、最初やり始めるといろいろなその汚濁が出てきます。

前回でも沢山でたし、今回もちょろっと最初に感じていたが、最後の3日間の苦しさは半端なく、さらに奥深い心の中までえぐられたような苦しさでした。

8日目辺りに体の表面の感覚だけでなく中まで入って行きましょう、という瞑想が始まるのですが、それをしたとたん瞑想中に涙が止まらず、ぽたぽたと涙を流して泣きながら瞑想を続けていました。
なにの涙かわからず。

9日目が終わるぐらいにやっと苦しさから開放され始めて、「明日の朝の瞑想でこの沈黙がとかれ、一段落だ」と思いながら過ごし、10日目の早朝の瞑想ではかなり調子がよく、苦しさなく、やっとここまできた、と思い、沈黙最後のグループ瞑想へ。

そのグループが終わったとき、誰か女の子が、気が触れたのかおかしくなって、突然笑い出し、それにいらつき、なにも学べていなかったのか私は、と思い、悲しさなのか涙が止まらなくなり、さらに、完全に終わったら拍手をした男子生徒がいて、それにも強く反応してしまい涙が止まらず、みんなは外に出て話始めているのだけど、私は涙を流し続けながら瞑想し続けました。

いつも、こうなるとお腹の調子とかが悪くなり、外にでないといけないはめに。
しばらく座っていたが、出てトイレへ。
そして部屋でしばらくまた泣いて、これでは10日頑張った意味がない、と思い、外へ。

そこからあのセンターを離れるまでとっても涙もろく、少しのことで泣いてました。
心が浄化されもしたのだろうけど、それだけむき出しになっているような、そんな感じで。
話してもよくなってから、彼に会い、話し始めるといちいち泣けてきて。こんなときに泣いた、と話していたら、完全にその泣いたときと同じ状態になっていて。

お掃除をボランティアですることがOld Studentはできるので、ビパッサナーの始まる日にたまたまサインアップし、掃除をしていたら、先生が出てきて、しないでくれるか、と。
私がお手伝いか生徒かと聞いてきたので、私はOld Studentだから、サインアップしたの、っていったら、この大事なビパッサナーの日にこんなことしないほうがいい、と言われ、素敵な笑顔で、いいわよ、と。その先生の愛情に触れたら涙が止まらず、その場はすぐには泣かなかったが、部屋に戻る廊下、部屋でかなり号泣してしまいました。

同じ感じで、出発前の10日目の夜、暗闇の外を少し散歩して、外の冷たい空気を吸って、部屋に戻ったら、終わったことからなのか、なにかへの感慨からか涙が止まらず、またがっつり泣いてそのまま就寝。

次の日、11日目の出発の日の早朝の最後の慈愛の瞑想のときにゴエンカ氏の愛を感じて、涙止まらず、周りの数名のすすり泣きにも影響されて、ぼろぼろ泣いて11日目の朝、全てを終えました。

まだまだ浄化が足りないけれど、どんどん浄化して行きたい、と思ったし、浄化する、瞑想する苦しさ、続けることの苦しさ、そして、どうして人が様々な抵抗するような行動にでるのかがよくわかった気がする今回のビパッサナーでした。

心をえぐられないと浄化できない深い深いところにまで汚濁があるんだなぁ、と。

それは苦しい作業でもあるが、その向うには平静さがある。
苦しさはずっと変わらない、苦しい事は常に起こり続けるものなんだろうけど、自分が反応しなければ、それに一喜一憂されなければ苦しくはないもの、だと頭でわかっているが、体で知ることをさらに知った10日間です。

そして、決意。

続けるぞ、と決意しました。

これが一番の浄化だし、私の人生をさらに彩りよく素晴らしいものにしていくために必要なものに感じています。

グループリラクゼーション会や個人セッションが今後さらに楽しみです。

既に、また今年中にビパッサナーに行きたい私でした。