2017年1月17日

to boost my day!

Gianluca Vacchi and Giorgia Gabriele

Gianluca Vacchi Sunday Dance! (←ここをクリックして、是非、映像みてくださいー!)

朝、これを見るとハッピーになります。

この二人の、Gianlucaさんの笑顔と楽しそうな踊りに、癒される毎日です。

やる気が出なかったり、なんだかわからないが、落ち込んでいたり、ただ、外が曇っているだけで、滅入ったような気分になったり。
人の心は小さなことでどうにでも変わる気がします。

そういう、少し落ち気味の時にこのビデオを見るととっても元気になります。

これだけでハッピーにさせる二人の感じといい、私の心の素直さと単純さにまた体が軽くなる感じ。

ここを読んだ人もこれでハッピーに感じれるといいなーと思っての投稿です。

2017年1月15日

"Guilt and Shame" 恥の効果

最近、自分自身のセラピーのセッションでも、クライアントさんとのセッションでも、私の中でキーとなっているのは「Shame 恥」の事。

「Guilt and Shame」に関してはアメリカではよく話されることのように思います。私も患者さんによくこのことを心理教育の一環としてお話ししたりします。

Guilt:「罪の意識」とは自分のした「行為」を悪いと思うこと。

Shame:「恥の意識」とは、「自分自身」の事を悪い、と思うこと。

初めて、これが話題になった時、あまり理解できなかった自分がいました。

今思えば、それはきっと、あまり日本にいる時に違いを問われることもないし、正直、違いがあると思っている大人はあまり周りにいなかったからではないかと思います。

理解できなかったのはなぜかというと。。。日本では、何事も「恥」だから。

恥の場合、行動・行為そのものはかっ飛ばしてしまって、そういうことをする「自分」が悪い、と考えてしまいます。すっかりそう信じて、この思考が当たり前になってしまっている。

何か失敗をしたり、誰かに何かを言われた時に、つい、自分が悪い、と自然に理解してしまっている事はよくあると思います。

私たちは小さい時からこうやって育てられているので。

部屋を散らかして、片付けなかった。

叱れれる。

叱られるのは、「片付けなかったこと」ではなく、片付けをしない「悪い自分」として、自分自身を責められる。

本当に悪い事をしようと思って、悪意があってそういう「行動」になったんでしょうか?

違うと思います。

でも、自分は「悪い」と言われてしまう。

こうやって育てられてしまうと、勘違いしたまま、自分自身への変な厳しさばかりが強くなっていってしまいます。

自分自身がそうなっているのに気がつきませんか?

まだあまりピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。もしかしたら、この恥の意識がとても根強いからかもしれません。

日本だから、アメリカだからとこの辺りに違いはないのですが、アメリカ人にももちろんある、この自分を責めまくる「恥の意識」が日本では特に強く心に、体に染みついている気がします。

自分がした行動を客観的に、マインドフルに見つめる、ということをとても難しくさせてしまう、私たちの心の癖。

ここの理解と気づきはとても大切だと思います。

私自身、まだまだ葛藤しているところですが、気がつき始めて、人への対応や、自分自身の生活が大きく変わったように思います。
楽になったし、もっともっと素直になっている気がします。

皆さんも是非、この辺り探求してみてください!

深い感謝とMettaを込めて。

2017年1月10日

One piece at a time...

Chuck Close @ 86th Street Station on Q.

今朝、たまたま、読もうと思っていた論文の中にChuck Closeの絵について書いている箇所がありました。

読んでびっくり。

One piece at a time.

これが今朝の私をとても元気にしてくれた言葉。

チャッククロースの絵が上の写真にもあるように、86丁目の駅の壁にいくつもモザイクで埋め込まれています。彼の絵がもともと大好きな私は、86の駅に初めて行った時に、張り切って上の写真を撮りました。これは彼のポートレイトだと思います。

彼の絵、みてもわかるように、小さなマス目の中に色を入れて描かれています。一つ一つのマス目をみただけでは顔には見えないのですが、引いて、全体をみるとリアルな人の顔に仕上がっているという仕組み。

私たちの心も、こうやって、一つ一つの気づきは大きな影響も与えなければ、私自身をがらりと変えてくれるものではないかもしれません。
でも、その小さなマス目を埋めていくことで、全体像が見えた時に、素晴らしい自分自身に気がつくことができるのだと思います。

そういう一つ一つのマス目を埋める作業、少しづつ自分自身を知っていく作業の一つとして、セラピーがあると、私は思っていて、自分のついた職業に誇りを持っています。

個人セッションも大事だと思いますが、少しでも、人の心、すなわち、自分自身の心をもっと知ってもらうためのきっかけとして始めたクラスがさらに楽しみになってきました。

毎週水曜の1時から3時までするぞ、と今年に入って決めたので、ここでも告知させてもらいます。まさしく、この時間がチャッククロースの絵のように、小さな心のマス目を知っていく、埋めていく作業だと思っています。

Day: Wednesday
Time: 1:00pm - 3:00pm
Place: @Runner's Clinic, my therapy room, 55 West 39th Street Suite 708 (between 5&6th Ave)
Fee: $30.00 (2017年から少しだけ値上げしました)
定員:4名

人数に限りがありますので、必ずお申し込みください。
ご質問も、遠慮なく、メールかテキストでどうぞ!

email: eri@erilicious.com
text msg: 1-646-926-0821

one piece at a timeで頑張るぞー!


2017年1月6日

2017年 最初の投稿

もっと早くに書こうと思っていたのだけれども、どこか躊躇するところがあり書いていませんでした。

躊躇はどこから来るのかな、と考えたりして。

そうこうしているとどんどん日にちは過ぎています。

私は今すごく勉強をしないといけなくて、それに集中しているのもあるのですが、それだけではない、なにか避けているようなところがあった気がします。

今年の抱負について書きたかった。

今年の抱負はしっかり考えている。

それについて書こうと頭の中では文章を書いているのだけど、書く、ということをしなかったこの1週間。

仕事がやけに忙しいのもあります。

でも、何よりも、どんなことをこの公共の場所でシェアしていくか、ということをすごく真剣に考えていました。

最近、「マインドフルネスと自己探求心理講座」というクラスのような講座を始めてから、何を発信するか、ということに以前よりも増して意識を向けるようになった気がします。

素直に書けない自分を感じて、それで躊躇していた。

素直に気持ちを今書くと、思っている今年の抱負がうまく伝えられないと思っていて、不安な感じを感じています。

私は、いつも人に感動し、人からいい意味でも悪い意味でもとても影響を受けて過ごして来ました。

今年は感動や、影響を与えてもらうばかりではなく、フォーカスは私が何をみなさんに伝えていくのか、ということにあると感じています。どんな感動や影響を感じてもらうことができるのか。

私という人間と触れ合うことによって感じてもらえる影響を意識して、日々精進しつつ、色々発信して行きたい、という想いでいっぱいの2017年1月です。


2016年11月26日

今日も!

毎週土曜日にしているマインドフルネス瞑想会、今日もします!

もしかしたらサンクスギビングで誰もいらっしゃらないかな、とかビル自体が閉まっているかもしれない、と思っていましたが、ビルも開いているし、数名、来てくださるという方もいらっしゃり、毎週同様、行います。

私の中でも、毎週楽しみにしているクラスで、たまには休んでしまうかな、とか一瞬考えたのですが、どんなときでも、毎週土曜のこの時間にあそこにいけば瞑想会をやっている、という風に思ってもらいたいので、今回する事ができて、どこかホッとしているというか、心地のいい気分です。

楽しみです!

2016年9月7日

水のしずくのような心

前の投稿はどういうことを読みたいものなのか、ということで、やっぱり、その人のとてもパーソナルな体験を私は知りたいのだな、と書き、自分のことを少し書いたのですが、今日もその続きとして、私のセラピーセッションについて書きたいと思います。

私が行うセラピーではなく、私が受けているセラピーでの私自身のクライアントとしての体験です。

これは記録しておきたいという想いもあって書いています。

私がこの先生(おじいちゃん先生と呼んでいます。本当におじいちゃんなので)のセラピーに通い始めてもう10年以上になります。
途中長い間行っていない時期もありますが、半年ほど前から再開しました。

自分自身がセラピストだから言うわけではないのですが、困った人の為や、困った時だけセラピーが必要というより、そういう時を機にセラピーへ行くことで更に成長していく素晴らしい助け、必須の助けなんだと思っています。

特にそのセラピーを受ける意味と大切さを感じたセッション。

私のセラピストの先生はA.H.Almaasという方のDiamond Approachというのを取り入れたセラピーをする方で、私もこのAlmaasさんの本は読んだことがあって、興味のある人・やり方ではあったので、結構素直に先生のやり方に応えてセラピーを受けていました。

そのやり方が更なる私の成長に大きく役立ったと感じたのが、この最近のセッション。

今までももちろん、毎回泣いて、いろいろな自分を発見して、とってもパワフルなセッションを体験していたのですが、最近再開してからは私自身も随分と変わっている事や、瞑想を毎日し続けていることなども関係しているのか、体験、発見が今まで違うものに感じていました。

いつも、何でも頭に浮かんだことを話し始めて、そこからどんどんと深いところへ入っていく感じのセッション。

様々な抵抗やディフェンスが出てきて、やはり辛いことや嫌なことを避けて、いろいろな言い訳をして、逃げている自分に気がつきます。

勇気を持って、その嫌な部分を見つめ、感じ続けてみると、意外とそこまで嫌なことでもないことを感じ始めます。

その嫌な感覚と自分の関係性が変わっていく。

どれだけ不安感や怖さから来ていた抵抗が強く、辛いことだという思い込みが強かったのかに気が付き始めます。

そうすると抵抗という感覚が自然となくなっていく。

なくなっていった先には、水のしずくのような美しい、とてもみずみずしくて、柔らかく、でも怖いものがないほど強い感覚がするしずくのような心がありました。

すぐに抵抗やディフェンスがでてくるのも感じて、それらを感じた途端に、その水のしずくのような心が薄いけど強い膜でおおわれてしまい、痛みを感じ始める。

とても不思議な体験をしました。

この感覚が、まさしくMaslowのいうところのPeak Experienceだな、と思いました。

ただ、私がそこにいる。
その感覚から知る、なにも変わらないのに、ただある(Being)の強さというか、安定というか、それを感じる体験。

それから、またどんどんと自分自身の物事のとらえ方が変わり、Almaasの本を再度読み始めてみて、全く違う理解をし始め、毎日のいろどりが鮮やかになってきているの感じています。

あまりうまく言葉にできていないのですが、納得することが増えて、昔ほどいろいろなものに振り回される自分が減ってきています。

ニューロフィードバックのセッションを受けた時の感覚のもっとパワフルなバージョンのような感じです。

今日、一番納得がいった、Almaasの本の中の一節を書いて、今日のブログポストを〆たいと思います。日々精進。前に進み続けます!

Sufi saying: "to be in the world, but not of it."

A.H.Almaas "The Unfolding Now: Realizing Your True Nature through the Practice of Presence."

"Inner practice is basically a matter of settling and quieting. It is about settling into the simplicity of just being ourselves and feeling our realness - being in reality instead of in the echoes of reality."

"All of the inner journey, all of spiritual practice, ultimately comes down to this: that we are able to be genuinely what we are. If you want to do inner practice in order to develop certain powers or go to other dimensions or have special experiences, you still don't know what spiritual work is. And this is because you are not yet recognizing what reality is or what being real means."


2016年8月26日

Good morning!

電車に乗る前にトイレへ行こうと、買ったばかりのアイスティーを持ってトイレへ。
そこでそのアイスティーを全部こぼしてしまい、朝から少し凹みました。

今までだったら、結構ここからよくない1日になるんじゃないかと余計な考えを巡らせる癖があったのですが、あーあー、もったいないとは思ったものの、すーっと他へフォーカスができていました。

そして、電車に乗って、まだ使い始めたばかりの携帯アプリでのチケット購入についてコンダクターの人とチャット。
使い方もよくわかり、とても優しい、穏やかなコンダクターに当たって、朝からとてもいい気分。

他のお客さんとも会話をしているのを聞きながら、お客さんもコンダクターもいい人で、心地の良い「have a nice day! Have a good weekend!」というやりとりに私も笑顔に。

電車は遅れているが、いつものように早目に出ているので、慌てなくていい環境。

持ってきているオレンジブロッサムの香りのお白湯をすすって電車を楽しみます。

2016年8月13日

今朝のテーマ: ディフェンスとスピリチュアリティー


自分自身のセラピーや患者さんとのセッションを通していろいろと思うこと気がつくことがあります。

ディフェンスが最近の特に大きなテーマです。
これが一番大事なことだと思いながら、ディフェンスだけに、自分自身のディフェンスが邪魔をして、自分のディフェンスを感じることを避けていた気がします。

たまに認識して、よくできた、とまた逃げる。
そういう事を繰り返していたのかなと今思います。

未だに逃げてる自分をよく発見します。

それが私自身のセラピーのワークの中心です。

私の患者さんとのワークの中でももちろんこれが一番大事な部分なのですが、とても難しいです。
まず、患者さん自身が自分でディフェンスに気がつくところからなので。

ディフェンスなので、気が付きたくないものであるのがその性質。それに気がつくのは結構大変なんです。

そもそもディフェンスとは。。。
自分を守る為にしている私達の行為のこと。

デナイアル(否定)であったり、正当化だったり、責任転化/転換だったり、様々な形で私達はディフェンスをしています。

今朝もそのディフェンスについて考えていました。

嫌いだったり苦手だと思っている人がいる事はどういうディフェンスなのかなと。

勝手な思い込みから、攻撃されていると勝手に理解して、守りに入る。
それが嫌悪感になったり、優越感に変換されて、ディフェンスとなる。

勝手な思い込みに気がつくことが最初の気づき。

それが真実ではない事を知る。

さらに、自分の弱さ、劣等感を知り、受け入れ、認める。

とても勇気のいる作業です。

そういう事を考え、自分自身のワークをしていた今朝でした。

どんどん深く自分自身を知ること、苦しみを認め、どんなものか知り、苦しみからの解放に向けて進む自分の行動、体験がとてもスピリチュアルなワークになっている事を感じます。

ただ、スピリチュアルという言葉がどうも苦手です。

どうしても他力本願なイメージが付きまとい、私自身のワークは他力本願とは真逆の、勇気を必要とする私だけの道程なんだと思っているので抵抗を感じてしまいます。

魂レベルの霊的なものになりつつあるだけにスピリチュアルワークである事は間違いないので、この抵抗を更に突き詰める必要があるのかな、と考えた今朝。

全てはA.H.Almaasという先生の本の影響。昔読んだのですが、大きく変化した今の自分が読むと理解が変わっているだろうなと思い、手に取ってみて、大正解。

朝から深い時間を感じて通勤です。

2016年7月23日

Sex, Drug and Rock'n Roll! セックスドラッグアンドロックンロール

今朝の私の出勤はまさしくこのタイトルを感じたものでした。

厳密に言うと、Drugは私の中ではMeditation瞑想ですが。
なぜDrugが瞑想かというと、起こす効果がとても似ていると思うから。
一つだけ違う点があり、それは中毒性がないところ。

瞑想に中毒性はないと思います。
もちろん、瞑想に夢中になったり、瞑想がないと生きていけない、と感じてしまうことはあると思いますが、それはしている瞑想の意味が瞑想ではなくなっていると思います。
なので、瞑想をしているが、瞑想ではないのかもしれません。
中毒は心の傷を深くしていくものですが、瞑想はその反対の効果があります。
中毒性を瞑想に感じていたら、それはもう瞑想ではないのかもしれません。

ドラッグはこの中毒性という点で瞑想と大きく違うのですが、感覚や経験をはっきりしたものにしたり、痛みや苦しみが軽減される感じがする点で、効果は似ているのではないかと思い、私にとってのドラッグは瞑想としました。

いいセックスをし、ドラッグ(瞑想)をし、ロックンロールな生活。

私だな、と感じます。

毎週土曜日は午前中は仕事です。
通勤で15分ほど駅からクリニックまで歩くのですが、その道のり、私はiPhoneでレッチリを聴きながら、のりのりで通勤。

あー、私って本当にレッドホットチリペッパーズが好きなんだなぁ、と感じながら、半分踊りながら、そして歌いながらの通勤道。

自分らしくいることにいつもチャレンジしている私なのかな、と感じるのですが、私はどこかでやはり日本人としての体裁だったり、イメージを気にするところがありつつ、そのイメージを壊したくてしょうがないという不思議な反逆精神も強く持っています。

それはまさしく自分らしくいることへのチャレンジで、葛藤しているのだな、と思いました。

私の仕事は臨床心理学者としてセラピーをする心理セラピスト。一見お堅い仕事風です。
職場ではドクターと呼ばれ、患者に電話をするときにも、Dr.Kubotaですが、と切り出す。
どう考えてもレッチリを聴きながら、のりのりで踊りながら歌いながら通勤する人のイメージとは離れているのかな、と思ったりもします。

この思い込みもどこか私が今まで刷り込まれ、信じてしまっているもの。
信じているからか、私はお堅いイメージの人でいないといけないのかな、と感じたり、反逆精神で、まったく違うことをしてしまったり、ずっとどちらかを選ばないといけないかのように過ごしてきた気がします。
まるで、交じり合ってはいけないように。それらがまるで矛盾していて、矛盾がある人間は問題があるかのように思っていたところがある気がします。

でも今朝は、こういうのりのりの先生が私だなーと思って、とても楽になった気がしました。

私は、レッチリが好きで、ロックンロールが大好きで、のりのりな心理学者の先生。
これでいいのだな、と。

セックスも好きだし、健康的にとてもよいセックスをしているし、瞑想も毎日欠かさずしている。しなければいけないことからちょっと逃げがちな時もあるし、どうしようもない不安や怒りに襲われるときもある、そんな人。

自分自身のために行っているセラピーや、自分が行うセラピーで患者と共に成長し、いろいろなことに気づいている人。

瞑想のクラスを教えたり、マインドフルネスについて講演会をする人だったり、料理がとても大好きな人。お酒をあまり飲まなくなった人。

書き出せばきりがない。それら全部が社会的なイメージにはまらなくていいんだな、と感じた今朝。

私は私のままでいて、それが私。

そして、それらがすべてなくなって、私の名前さえも奪われたとしても、私は私として存在する。

私はその私を守ろうと普段はとても必死に生きている。
でも、その守ろうということをやめてみると、痛いと思っていたものが痛く感じなくなることも知っている私。

長い道のりをきて、まだまだこれから道は続く。

今の自分がただ、今の自分で、それに満足している。

昨日患者が言っていたことを思い出す。

半分水が入ったコップをどう表現するか。

「half empty」
と呼ぶのか、
「half full」
と呼ぶのか。

Half Fullな気分の私です。

諸行無常
色即是空、空即是色

この心を日々の瞑想と、セラピーに助けられ理解しつつあります。

最後にトピックを書き足しすぎてしまいました。
これらについてはまた今度。

こういうことを考えるそんな今日で、そんな今日の今の私はただ、私を感じて、ガードが下りている状態です。そういう自分についてと、ぐちゃぐちゃにいろいろな側面があるが、それらが全て私で、それでいいんだな、と感じた事を書きたかった今日のブログポストでした。

この後の瞑想グループが楽しみです。

仕事に戻ります。



2016年7月19日

何が知りたいか

人のブログを読む上で知りたいことって一体何なんだろう?

私が知りたいと思うもの。

パーソナルな体験かな、と思いました。

人とは違うかもしれませんが、ふと、思い出したのは、私が大学院入試のためにPersonal Statementと呼ばれる、自分がどうしてこの分野で勉強がしたいと思ったのかというエッセイを書いていた時のこと。

大学院への応募だけでもストレスいっぱいな中、このエッセイが一番苦労しました。

まず、書いたエッセイを先生に読んでもらおうと持って行ったら、その場で大きくバッテン(X)を書かれました。
全然ダメだと。
こんなの読んでどうあなたのことがわかるの?と言われました。

パーソナルステイトメントと呼ぶだけあって、あなたのユニークな面を書かないとダメ。パーソナルな話を書かないとダメ。
あなたがどうして心理学者を目指すことになったのか、ちゃんと理由があるでしょ、と。
それをしっかり書きなさい、と言われました。

がっくり落ち込んで、図書館のキュービクルでしくしく泣き(本当に)書き直しにかかったのですが、難しくて。

パーソナルな話を人にするなんてことなかったのでどうも慣れないし、きっと自尊心の問題もあったのか、私の話なんて、誰が聞いても面白くないし、と思い込んでいるところもあったんだと思います。

でも、勇気を出して、書かなきゃ大学院行けないんだから、と書いてみました。

何を思って、何に感動して、どういう人間に将来なりたくてこの分野(心理学)を選んだのか。

ラッキーな事に、頑張ったおかげか、偶然にも第一希望の大学院に入学できました。
あの時の勇気のおかげかな、と。

そういうパーソナルなものが、一番話としても面白く、説得力もあるものなのかもしれません。



私のパーソナルな話。。。



弱音を吐きたくないが、今日は異常に不安感に襲われる日でした。
たまに、その日のセッションに来る患者さんやクライアントさんのものを感じたり、もらったりしている時もありますが、自分にも同じような感覚があるから感じるので、やはり私にとって大事な感覚。

不安感があると、落ち込んだり、さらにやる気を失ったり、不安に苛まれて何もかもうまくいかない、と信じ始めたり。

心にいいことはあまりない。

妄想がスタートしてしまいます。

そんな自分に気がつき、不安感と向き合ってみることにしました。

こういう向き合い方ができるようになったのは自身のセラピーとマインドフルネス瞑想のおかげだなと感じています。

不安感と向き合っても、不安が消えるわけではないが、消えて欲しいと願っている自分には気が付けます。
不安はどこで感じているのか、私の中にどんな思い込みがあるのか、どんなことを私が信じているのか、など、知れることがたくさん。

そういう今日でした。

瞑想、毎週の自分自身の為のセラピー、私の患者さんとのセッションなどに助けられ、日々自分らしくとは何か、と感じている気がします。